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朝日新聞社

「満州国」が遺したもの 消え去ることなき戦争の苦い澱

初出:2009年10月3日、2013年2月9日、3月16日
WEB新書発売:2015年2月12日
朝日新聞

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 戦後70年の2015年、戦争について深く考えるなら「満州国」も大きなテーマの一つとなるに違いない。絶望的な国内の状況から目を逸らせようと図った中国東北部進出。多くの犠牲を伴いながら、帰国した100万人以上の引き揚げ者。そして、その過程で生まれた残留孤児。為政者に踊らされ、いざとなれば切り捨てられ、犠牲となるのは一般国民だ。「満州国」はその一つの典型であり、そして、その構図は今も決して変わっていないのである。(年齢、肩書は掲載時のものです)

◇〈昭和7年3月1日〉満州国建設/侵略の記憶、忘れぬ「首都」
◇〈昭和21年4月〉旧満州から引き揚げ開始/飢え、寒さしのぎ105万人帰還
◇〈昭和史56年3月〉中国残留孤児の訪日調査/言葉通じぬ親子、戦争の傷痕


〈昭和7年3月1日〉満州国建設/侵略の記憶、忘れぬ「首都」

 いまから振り返ると、中国史をよく知らない記者の、随分と失礼な取材であったと思う。「満州国」の首都(新京)だった長春を訪ね、日本によって皇帝に即位させられた溥儀(ふぎ)の皇宮で、「満州国をどう思いますか」と片っ端から聞いて歩いたわけだから。
 かつての皇宮はいま、中国のガイドブックによると「中国人が絶対に訪問するべき観光地」と紹介されている。中国全土からやって来るツアー客でいっぱいだ。
 日本での街頭インタビューのつもりで次々に声をかけていくと、いきなり十数人の女性に取り囲まれてしまった。大連からバスツアーで訪れていた40代の女性陣だった。
 「あなたね、満州国という国は存在しなかったの。他国に勝手に造った鉄道を自分で破壊しておいて、それを言いがかりに侵略する。日本人として恥ずかしくないですか」
 「満州国」について「日本の実質的な植民地」ぐらいの知識しかない記者は、黙ってただ聴き入るしかない。
 「中国人には必ず、日本人に殺された親類がいます。偽満州国を考える時、13億人の中国人は団結できるんです」
 中国人は、日本が勝手に作ったという意味を込め「偽満州国」と言う。皇宮の看板には「操り人形の偽りの宮殿」とある。一角に06年にオープンした東北陥落史陳列館を、ガイドの女性は「中国の愛国教育の国家的拠点」と話す。


 日本はなぜ中国東北部に進出したのか。明治以降の領土拡張路線とともに当時の社会情勢がある。29年の世界恐慌で大不況に陥り、農村では娘が身売りし、都市には失業者があふれた。政府は「満州国ブーム」で国民の視線を、国内の絶望的な状況から国外に向けさせようとしたわけだ。
 満州国は今の東北3省(遼寧、吉林、黒竜江)を中心に、日本の3・4倍の肥沃(ひよく)な土地が広がっていた。ただ、満蒙開拓団などの移民が夢見て手にした新天地の農地は、日本が中国人から奪った土地だった。人口4200万人の9割が中国人で、2%にすぎない日本人が「支配」した。
 長春の街に出てみる。中国人にとって忌まわしい記憶の建物が、なぜか数多く残る。あたかも「日本侵略テーマパーク」だ。「満州国」政府の中枢だった国務院は、日本の国会議事堂そっくり。目を転じて「なんで、日本の城が?」と思えば、関東軍司令部跡で、現在の中国共産党吉林省委員会である。中国は愛国教育の一環としての意味も込め当時の建物を残している・・・

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