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文化・芸能
朝日新聞社

負けなければ人生なんとかなる 俳優・小林稔侍の生き方

初出:2015年2月15日〜2月26日
WEB新書発売:2015年3月12日
朝日新聞

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 小林稔侍さんは2015年で俳優生活54年。深みある演技と人柄が人気だが、ここに至るまでの人生は、決して順風満帆ではなかった。和歌山県の山間部に生まれ、「東映ニューフェース」の第十期に合格して上京するが、慣れない都会生活と方言が壁になる。長い下積み生活の末、入社十年目にしてやっとポスターの名前が載るようになるが、そこからも苦労の連続。「神様は俺の人生を意地悪にしないだろう。頑張れば先々にきっといいことがある」と自分を励ましつつ歩いた人生を振り返る珠玉のインタビュー。

◇第1章 ふるさとが作る芝居
◇第2章 和大付中へ、医者夢見る
◇第3章 面接、無心が良かった
◇第4章 亡き兄に捧ぐポスター
◇第5章 映画「冬の華」が転機に
◇第6章 健さんとの縁、50年
◇第7章 本名「としじ」、愛着「ねんじ」
◇第8章 和歌山の人情伝える


第1章 ふるさとが作る芝居

 ――三枚目も似合ういぶし銀。おちゃめで不器用な男を演じさせれば、この人の右に出る者はいない。小林稔侍(74)。いま「出入禁止(デキン)の女〜事件記者クロガネ〜」(毎週木曜放送、テレビ朝日系列)では、主人公が勤める新聞社の社主役を好演。長い下積み時代も経験した苦労人で、その深みある演技と人柄が見る人を引きつける。



 俳優生活も2015年で54年ですかね。振り返ってみるとね、僕は仕事場にしろ、子育てにしろ、生きてきた中で文字どおり「つらい」っていうのはないんだよね。いろんな人に出会い、良くしてもらった。

 ――笠田町(現かつらぎ町)に生まれた。洋服の仕立屋をしていた父留之助と母美子、10歳違いの兄の4人家族で育った。

 おやじは短気でお人よし。おふくろは近所でも評判なきちっとした人で、対照的だったなあ。役作りはしない方だが、本能的にこの役はおやじの性格、こっちはおふくろと、二つをギアの入れ替えでやっている。兄貴はまじめな人間で銀行勤め。その分、弟の俺はいい加減に育っちゃったよ。

 ――ふるさとはのどかな田畑が広がる日本の原風景。その景色が人間形成に大きく影響したと考える。

 高野山のふもとで、草深いところだった。産業もこれといってあるわけでない。南北を山で挟まれ、その真ん中に紀の川が流れている。川の周囲は見渡す限りの田んぼ。子どもだから目線が稲の高さと同じくらいでしょ。田植え時期になると、苗が霞がかかるほどに、すーっとね。稲刈りの頃は見渡す限り黄金色だった。
 俳優の手ぶりや足ふりといった芝居はね、言ってみれば、車の運転と一緒。長く続けていれば、それなりにうまくなる。でも、そのあとが難しいよね。その人の生き方、生活の仕方、物の考え方、人柄が加味されてくる。それにはふるさとっていうのはとっても影響していると思いますよね。
 物心つくまでを過ごした穏やかなふるさとの風景や香りが、潜在意識の中に入っていて、それが東京に出てきてからの、自分のリズム、生き方の土台になっている。芸能界は競争社会だとか、足の引っ張り合いとか言われるけど、そのリズムだったからこれまで長く俳優を続けられたと思う・・・

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