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世相・風俗
朝日新聞社

リニアは東京駅には来ない 新都心・品川物語

初出:2015年1月29日〜2月26日
WEB新書発売:2015年3月19日
朝日新聞

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 リニアモーターカーによるJR中央新幹線は、品川−大阪間を最速67分で結ぶ見通しだ。都内の始発は東京駅ではなく品川駅になる見込みで、東京駅の方が便利そうにも思えるが、「地下に建設する余裕がなかった」(JR東海関係者)という。すでに品川駅の東海道新幹線ホームの地下では、リニアの駅の準備工事が始まっている。首都の玄関口として期待される新都心「品川」の今と昔を見た。

◇第1章 リニア開業へアクセル全開
◇第2章 赤穂浪士眠る傍らに新駅
◇第3章 ビル群に跳ねる魚の未来
◇第4章 宿場町気質、生かしたい


第1章 リニア開業へアクセル全開

◎総事業費9兆円の始発駅
 品川プリンスホテルの敷地に、一本の急な坂道がある。映画館や水族館(エプソン品川アクアスタジアム)の入り口に接し、多くの人が行き交う。
 「ダッシュを繰り返した。きつくて嫌で。何とか休みたいと思っていた」
 約30年前、その坂道でトレーニングに明け暮れたのが、フィギュアスケート解説者の八木沼純子(41)だ。当時、スケート場がホテルに併設されていた。
 近くで生まれ育った八木沼は5歳でスケートを始めた。品川高校(現在の品川女子学院高)を卒業するまで、このスケート場に通った。「リンク漬けの生活だった」。朝6時から練習。学校が終わるとリンクに戻る。夜11時まで氷上にいた。思春期には、コーチや親とぶつかった。
 1988年、14歳でカルガリー五輪に出場した。その後、極度の不振から立ち直ったものの、あと一歩で五輪に手が届かなかった。
 「私の責任。人生は甘くない。だからこそ(引退後の)第2のステージで、何事も常に追い求める気持ちを大切にしている。人間性を磨いてくれたスケートに感謝している」


 品川のスケート場は91年、閉鎖された。「品川が私の原点」と語る八木沼は2009年、自らの結婚式の会場に近くのグランドプリンスホテル高輪を選んだ。プロのフィギュアスケーターを13年に退き、今もアイスショーにかかわりながら、子どもにもスケートを教える。気がつけば、自身を取り巻く環境だけでなく、駅周辺も様変わりしていた。
 98年、京浜急行電鉄が羽田空港に乗り入れた。03年には東海道新幹線の品川駅が開業した。飲食や物販施設が増え、海側には超高層ビル群ができた。
 「20年には東京五輪がある。誰もが過ごしやすい環境になってほしい」
 品川の将来を象徴するのが、リニア中央新幹線だ。JR東海が27年、品川―名古屋で開業し、最速40分で結ぶ。45年には大阪まで延伸する。品川―大阪は最速67分でつながり、東名阪が一つの都市圏になる。総事業費は約9兆円という国家プロジェクトだ。
 みずほ証券はリニアの経済波及効果を計22・3兆円と試算する。品川―名古屋は13・4兆円。年ベースだと20年東京五輪の2・4倍に達する。この区間では建設業で延べ50万人ほどの雇用が生まれるという。
 なぜ、品川が始発駅になったのか。JR東海名誉会長の葛西敬之(74)は14年末、日本記者クラブでの講演で理由を語った。
 「東京が最も便利だが、(駅を)地下に建設する余裕がなかった。リニアが入る余地があり、東海道新幹線との結節点になる品川に駅をつくるしかなかった」
 リニアの品川駅は東海道新幹線ホームの真下、地下40メートルにつくられる。14年12月、準備工事が始まった・・・

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