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朝日新聞社

オウムの記憶 強制捜査20年後にも残る教訓

初出:2015年3月20日〜3月23日
WEB新書発売:2015年4月16日
朝日新聞

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 1995年3月22日、富士河口湖町富士ヶ峰(旧上九一色村)にあったオウム真理教の教団施設に強制捜査の手が入った。その以前から教団の危険性を訴え続けてきた周辺地域住民にとっては、孤立無援の戦いが終わりに向かい始めた日でもある。あれから20年たった今、近くで教団を見てきた人々は何を思うのか。人々の記憶をたどり、教訓を探った。

◇第1章 強制捜査「遅きに失した」
◇第2章 生活の中、入り込んできた
◇第3章 「児童を守る」貫いた記録
◇第4章 語り継ぎ、後世に残す責任


第1章 強制捜査「遅きに失した」

 富士河口湖町富士ケ嶺(旧上九一色村)に暮らす岡本法恵さん(86)の自宅に2015年1月、小包が届いた。送り主は金沢市の男性。中身はお菓子だった。「元気でやっています」と近況を知らせてくれているようで、岡本さんは少し安心した。
 20年前、男性はオウム真理教の信者だった。岡本さんの自宅のすぐ隣にあった教団施設に出入りしていた。現在も、施設の跡地には、男性が作ったという地下水くみ上げ装置のポンプが残っている。
 当時、施設には若い信者がたくさん出入りしていた。岡本さんは教団の実情を知ろうと、「何しているの」と盛んに声をかけた。無視をする信者もいれば、普通に会話する信者もいた。男性ともそうして出会った。
 男性は一連のオウム事件の後、教団を脱退し去って行った。10年ほどたった05年ごろ、突然、岡本さん宅を訪ねてきて、「ご迷惑をおかけしました」とわびたという。
 今でも折に触れ、お菓子を送ってくる。手紙が入っていることもある。岡本さんは「しっかりしている彼も、当時は何かに悩んで、助けを求めて、教団に入ったのかもしれないね」と振り返る。


     *
 岡本さんの自宅から約200メートル先に、ススキが生い茂る空き地がある。サリン製造工場だった第7サティアン跡だ。ここで作られたサリンが、1995年3月20日、東京で発生した地下鉄サリン事件で使われた。
 事件の半年以上前の94年7月、第7サティアンの最も近くに住んでいた住民が、「異臭がする」と岡本さんの家に逃げ込んできた。岡本さんが外に出てみると、サティアンの外には10人ほどの信者が座り込んでいた。
 前月に長野県松本市で松本サリン事件が起き、地域の住民の間で「オウムの仕業ではないか」とうわさしていたところでの異臭騒ぎだ。岡本さんらは、すぐに第7サティアン周辺を調べた。近くの樹木の葉は一部が変色していた。化学薬品の放置も確認した。警察や保健所に施設内への立ち入り調査を再三求めたが、実現しなかった。
 一方、周辺で採取した土を調べた警察は、この年の秋にはサリン残留物を検出。別の事件での捜査に向けて準備も進めていた。そんな矢先に、地下鉄サリン事件が起きた。
 岡本さんはすぐに、教団による犯行だと確信した。「また起きてしまったか。異臭騒ぎの時に捜査に入っていれば」と悔やんだ。事件の2日後、ようやく強制捜査が始まった。岡本さんには「やっと捜査に入ったか。これで(教団は)もう終わりだな」と安堵感があった。ただ、いま振り返っても「遅きに失した」と感じずにはいられない・・・

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