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世相・風俗
朝日新聞社

みんな「中流」で幸せだった 憧れは団地・カローラ・三種の神器

初出:2011年6月25日、2013日5月18日、2009年9月12日
WEB新書発売:2015年4月16日
朝日新聞

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 東京でもタワーマンションの影も形もなかったころ、若年層の憧れは公団団地での生活だった。女性のたしなみ「婦徳」がまだ幅をきかせていたころ、家電「三種の神器」の普及は封建的な身分意識を忘れさせた。自家用車がまだ珍しかったころ、カローラの登場は大衆の「車を持ちたい」という夢をかなえた。今となってはだいぶ昔のことのように思える「一億総中流」の時代。格差と貧困は、そのころだってあったに違いない。でも、なんだか今よりはずいぶん幸せそうに見えるのは、なぜなのだろうか。(年齢、肩書は掲載時のものです)

◇昭和31年(1956年)4月
公団団地の登場/あこがれのダイニングキッチン
◇30年代(1955年〜64年)
家電「三種の神器」普及/目覚めた物欲、中流意識
◇41年(1966年)11月5日
カローラ発売/大衆は車に夢を重ねた


◇昭和31年(1956年)4月
公団団地の登場

◎あこがれのダイニングキッチン
 空色に塗られた鉄製のドアを開けると、6畳と4畳半の畳の部屋が2間ある。その隣には4畳ほどの板張りのダイニングキッチン(DK)。
 昭和30年代に日本住宅公団(現UR都市機構)の団地に登場した2DKの間取りだ。いまや見ることができない初期の部屋が、東京都八王子市の同機構都市住宅技術研究所に移築保存されている。中でも最も古い1957(昭和32)年築の「蓮根団地」(東京都板橋区)を見た。前年、堺市に誕生した公団団地第1号と同じタイプという。



 セメントに小石を混ぜた人造石の流し台の手前に4人用のテーブルが置かれている。「テーブルは各戸備え付けでした。当時、畳の部屋にちゃぶ台を置いて食事をするのが一般的で、食卓のテーブル自体なかなか売られていませんでした」。URの住まい技術研究チームリーダー内藤宏さん(57)が解説してくれた。
 終戦から10年たった55年、都市部への人口流入で日本は未曽有の住宅難だった。旧建設省推計によると、不足は270万戸。これを10年で解消することを目的に、複数の自治体にまたがって住宅供給を行う住宅公団が設置された。
 公団は独立採算制で、税金も使われる公営住宅に比べて家賃は割高になる。それでも入りたいと思わせる住環境が必要だった。ダイニングキッチンやガス風呂の浴室、シリンダー錠など目新しい設備が設けられた。「ダイニングキッチン」自体、公団が作った造語だった。
 幼い時から40年以上、首都圏各地の公団団地で暮らし、その体験に基づく「滝山コミューン一九七四」などの著書がある政治学者の原武史さん(48)は、「それまで主流だった木造長屋は、においも音も筒抜け。公団団地はコンクリートで1戸ずつ隔てられ、鍵もある。庶民の生活で初めてプライバシーが確保されることになった」と話す。
 DKの間取りのルーツは戦前にあった。建築学者の西山夘三(1911〜94)が提唱した「食寝分離論」だ。
 戦前の建築学界は、一つの畳の部屋を食事にも就寝にも使う「転用論」を住宅の基準にしていた。西山は35年、大阪、京都、名古屋にある住宅約5千戸を調査。庶民は、窮屈でも食事をする場所と寝る場所を分けているという意外な傾向を発見した。その後、公団の前身ともいえる戦前の住宅営団で技師になり、「秩序ある生活には食寝分離が最低の一線」と食事室の独立を提案した・・・

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