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政治・国際
朝日新聞社

野いちごから、ひまわりへ 台湾立法院占拠とデモクラシー

初出:2015年5月27日〜6月5日
WEB新書発売:2015年6月18日
朝日新聞

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 2014年春、台湾の学生たちが立法院(国会)議場を23日間にわたり占拠した。1990年の野ゆり、2008年の野いちごに続き、「ひまわり」と名付けられた学生運動。フェイスブックなどを通じて連日大勢の人が集まり、食料や水、寝具なども次々と届けられた。支えたのは30代〜40代。不正義に市民が立ち上がる、こうした流れができたきっかけは、軍のしごきで若い兵士が死亡した事件だった。占拠から1年、関わったさまざまな人々を訪ねた。

◇第1章 立法院を占拠、23日間
◇第2章 「私は台湾人」、意識解き放つ
◇第3章 戦って勝ち取る民主主義
◇第4章 ルーツは「野いちご」
◇第5章 市民動かした若い兵士の死
◇第6章 「子どもの話を聞こう」訴え大勝
◇第7章 香港の雨傘
◇第8章 10年、20年先を見すえて


第1章 立法院を占拠、23日間

 台湾の立法院(国会)には、戦前の日本統治時代の女学校校舎が使われている。後に完成した中庭の議場も学校の講堂のようなこぢんまりとしたものだ。
 その議場がデモ隊に占拠されたのは、2014年3月18日の夜。「ひまわり学生運動」などと呼ばれるようになる占拠は23日間にわたって続き、台湾社会を大きく揺るがした。
 「代議制が機能不全に陥った。市民の手に民主主義を取り戻そうという思いだった」。学生幹部の一人、陳廷豪(26)はそう振り返る。
 引き金を引いたのは、与党・国民党が中国とサービス業を開放し合う協定を立法院できちんと審議せず、強引に通そうとしたことだ。中国への警戒心が強い人たちを中心に、「民主主義を踏みにじった」と怒りが爆発したのだ。
 だが、いかに与党が強引だったとしても、選挙という民主的手続きで選ばれた議員の意思決定に対し、こうした形で抵抗することは、民主主義社会で許されるのか。
 その後の1年余りの動きを見ていると、台湾社会はそれを許容しているように思える。なぜなのか。1年を機にさまざまな人を訪ねてみた。
 「本当に議場に入れるとは思っていなかった。すぐ阻止されると思っていた」。学生指導者の台湾大学大学院生、林飛帆(27)はそう語る。


 立法院は済南路、中山南路、青島東路の3本の道路にコの字型に囲まれている。あの夜、済南路で協定反対の集会を開く一方、正門がある中山南路でデモ隊が騒ぎを起こした。警備が引きつけられ、手薄になった青島東路から本隊が突入。代議制の象徴はあっけなく「陥落」した。
 学生たちは議場出入り口にバリケードを築き、警察の排除に抵抗した。最初は外のようすも分からず、緊張が張り詰めていた。だが、続々と周辺に人が集まり、明け方には数千人が座り込んだ。フェイスブックなどを通じて事態を知った人たちが、学生たちを守ろうと詰めかけたのだ。警察の実力行使による排除はもはや不可能だった。
 「行動した我々も、こんな大きな運動になると考えてもいなかった」。林は言う。
 連日大勢の人が集まり、食料や水、寝具など支援物資も続々と届けられた。占拠は想定もしなかった長期に及び、路上のあちこちで民主主義を語り合う「民主教室」が開かれた。15年3月30日の支援集会には数十万人が集まった。
 議場突入までは、デモ隊は極端な行動に走る変わった人たちと見られていたように思う。だが、議場が占拠されるという前代未聞の事態が、市民の心にくすぶっていた体制への不満に火をつけた・・・

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