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医療・健康
朝日新聞社

大橋巨泉、4度のがんと闘う 怖がらず、呼び名は「がんちゃん」

初出:2015年6月9日〜6月13日
WEB新書発売:2015年6月25日
朝日新聞

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 胃がんになったのは71歳のとき。胃のほぼ半分を切除した。次に異変に気づいたのはアメフト試合の録画を頰杖をついて見ていた時。右耳の下あたりに「軟らかいビー玉」のようなしこりがあった。扁桃がんだった。その後、縦隔・肺にもがんが見つかる。「最新の医療を受けても、どっかへポコッとでてくる。敵ながら、あっぱれ」。巨泉さんは自らのがんを「がんちゃん」と呼ぶ。「がん細胞は敵ながら自分の細胞でもある。これだけ長寿時代になっちゃうと、そのぐらいの、しなやかな考え方を持ってないと」。

◇第1章 「1に健康」だから…なのに…
◇第2章 扁桃の「本体」に放射線
◇第3章 失った味覚、牛乳が「水」
◇第4章 「敵ながらあっぱれ」
◇第5章 「怖がらずに闘って」


第1章 「1に健康」だから…なのに…

◎人間ドック欠かさず、胃がん早期発見
 「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」――。高視聴率のテレビ番組を次々と手がけ、司会者として活躍したタレントの大橋巨泉(おおはしきょせん)さん(81)が「セミ・リタイア」を宣言したのは、1990年のことだった。


 人気の高かったレギュラー番組を50代半ばで降板し、生活のスタイルを一変させた。夏は過ごしやすいカナダ、冬は温暖なニュージーランドやオーストラリア、春と秋には日本の自宅へ。快適な季節を求めて各国を移動するのが、例年のパターンだ。
 海外に展開するお土産店「OKギフトショップ」の社長業を続けつつ、テレビの仕事は、たまにゲスト出演する程度に抑えた。大好きなゴルフのほか、旅行や読書、釣り、アンティーク集め、ジャズ鑑賞と幅広い趣味を楽しんできた。
 「1に健康、2にパートナー、3が趣味」
 人生の優先順位を、そう語る。「パートナー」とは、最愛の妻、寿々子(すずこ)さん(66)のこと。そして、人生で最も大切な「健康」を維持するため努力を重ねてきた。
 かつては喫煙者だったが、37歳で禁煙した。食事は腹八分目。ワイン好きだが、週に1、2回は「休肝日」を設ける。早寝早起きを守り、夜は10時半には寝る。毎日、食物繊維たっぷりの新鮮なジュースを飲み、ストレッチ体操を欠かさない。90年代から今に至るまで変わらない生活習慣だ。
 人間ドックも34歳で受けて以来、40年以上にわたって毎年受けている。
     ◇
 05年春に胃がんを早期発見できたのも、人間ドックがきっかけだ。がんは粘膜層にとどまっており、東京・築地の国立がん研究センター中央病院で開腹手術を受けた。
 当時71歳。手術では胃のほぼ半分を切除したが、胃の周辺のリンパ節に転移はみられなかった。
 定期的な検査と病気の早期治療に強くこだわるのには、理由がある。
 まだ大学生だった1954年、母親の大橋らくさんが53歳の若さで亡くなった。子宮がんだった。がんは体のあちこちに転移し、すでに手術できない状態になっていた。
 もう少し早く、母がきちんとした治療を受けることができたなら――。このときの教訓を胸に刻み込んだ巨泉さんは、ひざに見つかった良性の腫瘍(しゅよう)を摘出するなど、疑わしい症状があれば自ら進んで手術を受けてきた。
 「普通の患者なら、医師に手術をすすめられても、『切らずに薬で治せませんか』という人が多いでしょう。でも僕は、何かあるたびに『先生、なんとか切ってください』というので有名な、変な患者なんです」

◎今度は耳の下、ふと「軟らかいビー玉」
 胃がんの手術で胃が小さくなった影響で、かつて80キロほどあった体重は72キロに減った。ただ、体の調子は良く、平穏な日々が続いていた。
 異変に気づいたのは、13年11月。千葉県内の自宅で、録画しておいたアメリカンフットボールの試合を、頬(ほお)杖をつきながら見ていたときのことだ・・・

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