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朝日新聞社

原発の渦に巻き込まれて 福島とエネルギー

初出:2015年5月31日〜6月4日
WEB新書発売:2015年6月25日
朝日新聞

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 「何もない原っぱ」だった軍飛行場跡地にできた第一原発は、福島の運命を変えた。高度経済成長期に集団就職で若者が町から消え、農村社会は崩壊。県は「新産業」として原発を誘致した。人々は原発との「共生」に活路を求めたのだ。兼業農家が急増し、暮らしは豊かに。しかし、事故がその営みを消し去る。福島ではいまも11万3千余の人々が避難を強いられている。

◇第1章 「新産業」出稼ぎに幕
◇第2章 進む「共生」、潤う町
◇第3章 変わる東電、損傷隠す
◇第4章 計画、集落引き裂く
◇第5章 仮の住まい、いつまで


第1章 「新産業」出稼ぎに幕

◎高度成長の波「農村」に
 福島県双葉郡大熊町夫沢地区。鈴木昭友(てるとも)さん(85)はあの日、自宅で妻のモトさん(86)や子どもたちに囲まれ、81歳の誕生日を祝っていた。2011年3月11日。刺し身に箸をつける間もなく、家が大きく揺れ始めた。
 一族は代々、夫沢で暮らし、鈴木さんで18代目。自宅は東京電力福島第一原発のすぐ南だ。津波警報が出され、家族で町の総合スポーツセンター体育館に避難した。この日から自宅に住むことはできなくなった。


 第一原発は同日夕に制御不能に陥る。1〜3号機が炉心溶融し、膨大な放射性物質がまき散らされた。
 自宅は除染廃棄物を最長30年保管する中間貯蔵施設の建設予定地。いま郡山市に住む鈴木さんは言う。
 「事故の前は地区のみんなで神社の掃除をしたり、墓地の掃除をしたり。いまはみんなばらばら。なんもできない。情けねえ話だ」
 大熊、双葉両町にまたがる第一原発。かつて、そこは軍の飛行場だった。日中戦争が激化するなか、軍はこの地区の人びとの土地を取り上げ、1940年に飛行場を建設した。
 戦後、その一部が払い下げられる。夫沢の人びとは再び手にした土地に松を植えた。しかし、真っ平らに削られた大地は、松の生育を阻んだ。人びとは小さな枝を松飾りにして売るなどして得たわずかな金を、生活の足しにした。


    *
 佐藤久夫さん(76)は夫沢に4人きょうだいの長男として生まれた。小学校は、4年生までは地区にあった分校。裸足で通った。
 高校に進みたかったが、父親が体が弱く、家を支えるため断念。54年に中学を卒業すると農業を継いだ。
 「大熊町は貧しかった。町の金がなくなると、町の幹部が町内の有力者の家をまわって金を借りていた・・・

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