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政治・国際
朝日新聞社

新聞と憲法9条〔2〕 朝鮮戦争と再軍備

初出:2015年5月18日〜7月2日
WEB新書発売:2015年7月16日
朝日新聞

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 1950年6月25日、北朝鮮軍が韓国に侵攻、朝鮮戦争が始まった。この戦争により、米ソ冷戦は「熱い戦争」へ転化し、生まれたばかりの平和憲法は、大きな試練にさらされることになる。7月8日、マッカーサーは首相の吉田茂に書簡を送り、7万5千人の警察予備隊を新たに発足させることを指令した。激化する戦闘、共産圏を含む全連合国との講和を目指す「全面講和」論と西側との和解を優先させる「単独講和」論の対立、米軍の要請による掃海艇派遣、マッカーサー解任、第五福竜丸事件――めまぐるしく変わる情勢の中で、憲法9条の平和主義はどう揺さぶられ、どう生き抜いてきたのか。当時の報道をもとにたどる好評連載第2弾。

◇第1章 朝鮮戦争に「参戦」
◇第2章 9条の発案者は誰か
◇第3章 サンフランシスコ講和会議
◇第4章 新しい軍隊
◇第5章 自衛隊誕生
◇第6章 憲法改正への意欲


第1章 朝鮮戦争に「参戦」

 「前線からの断片的情報によれば……」
 第一報は1950年6月25日午前10時15分、米UP通信から共同通信に入った(29日付新聞協会報)。
 北朝鮮軍が韓国に侵攻した――。
 朝日新聞福岡総局の記者、兼元忠英はこのニュースをラジオで知った。
 東京や福岡とソウルとを結ぶ国際電話が4カ月前に開通していた。兼元はソウルの官庁や新聞社に電話し、戦況を取材した。
 夕方、デスクが言った。
 「対馬の最北端に飛んでくれ」
 カメラマンと2人で出発した。
 連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の報道機関が韓国に記者を送ることを許さなかった。対馬からは、天候によって対岸の釜山が望める。戦乱を逃れる密航者が対馬近海に現れた(朝日新聞西部社会部編「西部社会部こもごも五十年」)。
 東京ではこの日、毎日新聞が3回、朝日、読売が各1回、号外を出した(29日付新聞協会報)。
 27日、米国が参戦を決定。28日、ソウルが陥落した。福岡から米軍機が大きな爆音をあげて飛び立った。
 7月4日、朝日新聞は社説で論じた。
 「日本が占領軍の命に服し占領行政に忠実でなければならぬということと、進んで日本が米軍の軍事行動に協力するということは、建前として厳密に区別されねばならぬ」
 戦争を放棄した日本が戦乱に引きずり込まれないよう、軽率な行動や言辞は慎むべきだ、という趣旨だった。
 中立を主張している、としてGHQは朝日新聞を厳重注意した(有山輝雄「戦後史のなかの憲法とジャーナリズム」)。
 北朝鮮軍は急速に南侵した。
 7日、国連安全保障理事会は国連軍の結成を決議。8日、連合国軍最高司令官マッカーサーが国連軍最高司令官に任命された。国連軍には16カ国が参加したが、主体は米軍だった。


 同日、マッカーサーは首相の吉田茂に書簡を送り、7万5千人の警察予備隊を新たに発足させることを指令した。
 吉田は14日、施政方針演説で述べる。
 ――国連にできるだけ協力するのは当然だ。共産圏を含めた全面講和とか、永世中立とかいう議論があるが、全く現実から遊離した言論である。

 1950年7月24日、朝日新聞社長の長谷部忠(ただす)が連合国軍総司令部(GHQ)に呼ばれ、社内の共産党員とその支持者を解雇せよ、と言い渡された。強権による反共政策、レッドパージだ。このとき、報道機関ではほかに毎日、読売、日経、東京新聞、共同、時事通信、NHKが対象となった・・・

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