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経済・雇用
朝日新聞社

今の日本はさらっとしすぎ DDI、イー・アクセス創業者がたどった「狭き道」

初出:2015年4月6日〜7月6日
WEB新書発売:2015年7月16日
朝日新聞

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 日本電信電話公社が30年前に民営化され、通信の自由化が始まった。その間、千本倖生さんは電電公社から新規参入した通信会社、第二電電(DDI、現KDDI)に移り、自由化の中核を担った。自らブロードバンド会社を起業し、育てた会社をソフトバンクに売却するという離れ業も演じた。自由化に揺れた通信業界で、常に変化をリードし続けてこれた秘訣はなんだったのか? 60年代から70年代と比べて今の日本は「さらっとしすぎ」というベンチャー起業家が、これまでの経験を振り返るとともに次代に贈る熱いメッセージ。

◇第1章 リスクあっても挑戦
◇第2章 「日本の潜在力にかけろ」
◇第3章 爛熟期、芽生えた懐疑心
◇第4章 民営化だけでいいのか
◇第5章 総裁と隣席、45分の勝負
◇第6章 何もない中でスタート
◇第7章 通信網づくり、大手が壁
◇第8章 市外電話、草の根の勝利
◇第9章 徹底議論、米の取締役会
◇第10章 日本変える、再び起業
◇第11章 価格破壊攻勢に危機感
◇第12章 モバイル、無限の可能性
◇第13章 統合、孫さんに託した


第1章 リスクあっても挑戦

 私の人生を大きく変えた言葉があります。留学時代に米国人学生から浴びせられた言葉です。

◎人生を変えた言葉
 「ダム(damn)」
 日本電信電話公社に入り、1967年、米フロリダ大学に留学。その寮で同室になったジョン・ヒスロップ君の口から出た言葉でした。
 くそったれ、クソ食らえと人を小馬鹿にする汚い言葉です。米南部育ちの敬虔(けいけん)なクリスチャンの彼はそんな言葉を口にする人物ではなかったので、私は呆気(あっけ)にとられました。
 私は京大工学部からキャリア採用で電電公社に入り、誇りを持っていました。ヒスロップ君が「サチオは何という会社から来たの?」と聞くので、胸を張ってこう答えたのです。
 「政府100%出資の独占企業、電電公社で働いているんだ」
 語気には〈すごいだろ〉という雰囲気が漂っていたかも知れません。それを聞いたヒスロップ君は口汚い四文字語を返したのです。
 彼の言葉の真意は、すぐには分かりませんでした。米国で学ぶうちにしだいに分かってきました。
 とても優秀な学生たちが小さなベンチャー企業をつくり、そこで働く例にいくつも出くわしました。最初は「せっかく優秀な成績で卒業したのに、なぜもっと立派な会社に行かないんだろう」と思っていました。しかし、何カ月か経ち、アメリカ人が大切にしているのは、リスクを取り、チャレンジし、何事かを起こすことだと分かったのです。
 日本のように成績優秀な学生から順番に安定した大企業に就職するのとは大違い。その時に電電公社を辞めようと考えたわけではありませんが、私の心の奥底になにがしかの変化が起きたのは確かです。
 小学生の頃は学芸会で先生に「主役をやりなさい」と言われても「僕はいいです」と断る控えめな少年でした。人生を振り返ると、私も随分変わったものだと思います。
 《千本さんは83年12月に電電公社から飛び出した。京セラの稲盛和夫名誉会長らと第二電電を創業し、57歳でイー・アクセスの立ち上げを決断した。ベンチャー精神を体現した人生の出発点が米国留学。それから50年近く経ち、日本はどう変わったのか。》
 私が留学した60年代後半から70年代は日本に勢いがありました。通信技術でも米AT&Tのベル研究所などと比べても勝る分野が現れ始めました。
 NECでは「中興の祖」と言われた小林宏治さんや関本忠弘さんが「マイクロ波を使った通信で世界を制覇する」と考えていました。富士通の小林大祐さんはコンピューターで世界に打って出ようとしていました。ソニーには井深大さん、盛田昭夫さんがいました。
 日本全体に世界に先駆けて何かを生み出す電磁波のようなものがみなぎっていました。今の日本はそれが失われています。
 世界を見渡すと米国は依然としてシリコンバレーを中心に電気自動車や自動運転車、宇宙開発、バイオ技術など社会の根幹を揺るがす変革を続けています。アジアでは中国がすごい勢いでのし上がっています。
 そうした超大国に挟まれて、日本はまるで角を抜かれた羊のようです・・・

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