【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

政治・国際
朝日新聞社

保守と右翼 八木秀次、河野洋平、鈴木邦男が問う安倍首相の「思想の底流」

初出:2015年6月13日〜7月7日
WEB新書発売:2015年7月23日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

 1993年、38歳で国会議員になった安倍晋三氏は「保守本流」と言われた軽武装・経済重視路線とは別の、もう一つの「保守」に身を投じる。安倍氏の立脚する「保守」とは何なのか? 政治家としての活動、ブレーンの言動などから浮かび上がるその「底流」を追う。八木秀次・麗沢大教授、河野洋平・元自民党総裁、鈴木邦男・民族派団体「一水会」顧問のインタビューを交えて多面的に迫る。

◇第1章 盟友から託された「真の保守」
◇第2章 「青嵐会を受け継ぐ」と強調
◇第3章 「創生日本」全国運動の組織に
◇第4章 改憲「まず1文字だけでも」
◇第5章 「肩で風」リベラル派に皮肉
◇第6章 党是見直し、後藤田の策略
◇第7章 歴史教科書「反日」と問題視
◇第8章 拉致問題「主権侵害された」
◇第9章 「国家として戻さない」
◇第10章 「九段下会議」からの提言
◇第11章 出馬・復党進め、仲間増やす
◇第12章 新宿のビルに「サロン」人脈
◇第13章 安倍自民、「保守」と呼べるか
◇第14章 保守と右翼、線引きあいまい


第1章 盟友から託された「真の保守」

 安倍晋三はひどくうちひしがれていた。
 自民党が歴史的な大敗を喫した2009年8月の衆院選。その衝撃が冷めやらぬ10月3日、盟友の中川昭一が死んだ。
 安倍と中川は政治家の父親同士が親しかったことで知り合い、家族ぐるみで付き合ってきた。安倍は1歳年上の中川を「昭一さん」と兄のように慕っていた。
 中川の妻、郁子(ゆうこ)=現衆院議員=から知らせを受けた安倍は、東京都内の中川邸に駆けつけた。
 安倍はひつぎの前の椅子に座り、深く物思いに沈んでいるようだった。以来、葬儀までの約1週間、中川邸を毎日訪れた。
 中川が死ぬ数日前のことだった。
 「安倍ちゃんにお願いしたら、会長を引き受けてくれたんだ」
 中川は自宅の庭の手入れをしながら、郁子に話しかけた。その声は安堵(あんど)感に満ちていた。
 衆院選で落選した中川が最も気にしていたのが、自身が会長を務める政策勉強会「真・保守政策研究会」だった。安倍の首相退陣後の07年12月、中川が「保守勢力の再結集」を掲げて作ったものだ。
 「自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ」
 選挙から2週間後、中川は自身のブログにこう記す。これが最後のメッセージとなった。
 中川の遺志を継いで会長になった安倍。会の最高顧問・平沼赳夫にこう言った。
 「私は会を行動する集団にします」
 安倍が会長を務める議員集団・創生「日本」。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、12年の自民党総裁選で安倍再登板の原動力となったこの集団の源流は、中川の「真・保守政策研究会」にあった。

◎「自民党取り戻す」という意識
 安倍晋三首相のブレーン、八木秀次・麗沢(れいたく)大教授(憲法学)に、安倍氏の思想について聞いた。

 ――安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」とは何ですか。

 「『戦後レジーム』とは、ポツダム宣言に基づく『ポツダム体制』のことだ・・・

このページのトップに戻る