政治・国際
朝日新聞社

なぜ自分は斬ったのか 「アジア解放」の虚構に気づいた元BC級戦犯の告白

初出:朝日新聞2015年6月27日、7月4日、7月11日
WEB新書発売:2015年7月23日
朝日新聞

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 1950年代の日本。戦争を放棄したはずの日本に警察予備隊が生まれた頃、戦犯に問われた人々を収容していたスガモプリズンの中から、再軍備への動きを止めようと、声を上げた男たちがいた。第二次大戦中のニューギニアで、ゲリラと疑われた現地住民の処刑に関与した元BC級戦犯の飯田進氏も、その一人だ。日本刀で切りつけた時の「ぬれ雑巾をたたきつけたような」感触、流れる血を見てこみ上げた吐き気。間違いだらけの起訴状でくだされた軍事法廷の判決。獄中で経験した、戦争観のドラスティックな転換……。「われわれは地獄の釜の縁に立っている。踏み外せば奈落の底に真っ逆さまだ」。90歳を超えてなお語り続けずにはいられない、「戦争」の正体。

◇第1章 獄中で気付いた戦争の実相
◇第2章 「薬害訴訟」対立と葛藤と
◇第3章 絞り出し語り継ぐ戦争体験


第1章 獄中で気付いた戦争の実相

 戦後70年の夏が巡ってくる。「解釈改憲」で集団的自衛権の行使を可能にし、安保法制を整えようという政府の動きに「また、戦争ができる国になるのか」と懸念する声が聞こえてくる。
 ひるがえって1950年代。戦争を放棄したはずの日本に警察予備隊が生まれた頃、戦犯を収容していた巣鴨刑務所の中から「逆コース」を止めようと、声を上げた男たちがいた。彼らの目に、今の時代の空気はどう映っているのだろう。私が横浜に元BC級戦犯の飯田進(92)を訪ねたのは、そんな気持ちからだった。これまで著作などを通して自らの戦争体験を語り続けてきた人物だ。
 BC級戦犯とは、先の大戦で「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」に問われた人々だ。飯田は軍人ではなく、海軍のニューギニア民政府に43年に採用された軍属だった。弱冠20歳。純粋に「アジア解放」の理想に燃えた「興亜青年」の一人だった。最初の任務は未開のジャングルでの資源探査。やがて戦況はみるみる悪化する。補給が途絶え、兵士たちが飢えや病で次々と倒れていく中、インドネシア語が話せ、地理にも明るかった飯田は、ゲリラ討伐などにかり出される。父にもらった日本刀を携えて偵察隊に随行した44年11月、ゲリラと疑われた現地住民の処刑に立ち会う羽目になった。
 若い兵が命令を受け、男を銃剣で刺突することになった。だが、腰が引けて致命傷を与えられない。血を流した男が眼前によろけてきた時、剣道の心得があった飯田は、とっさに抜刀してけさ懸けに切りつけていた。ぬれ雑巾をたたきつけたような感触。流れる血を見て吐き気がしたのを、今も覚えている・・・

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なぜ自分は斬ったのか 「アジア解放」の虚構に気づいた元BC級戦犯の告白
216円(税込)

1950年代の日本。戦争を放棄したはずの日本に警察予備隊が生まれた頃、戦犯に問われた人々を収容していたスガモプリズンの中から、再軍備への動きを止めようと、声を上げた男たちがいた。第二次大戦中のニューギニアで、ゲリラと疑われた現地住民の処刑に関与した元BC級戦犯の飯田進氏も、その一人だ。日本刀で切りつけた時の「ぬれ雑巾をたたきつけたような」感触、流れる血を見てこみ上げた吐き気。間違いだらけの起訴状でくだされた軍事法廷の判決。獄中で経験した、戦争観のドラスティックな転換……。「われわれは地獄の釜の縁に立っている。踏み外せば奈落の底に真っ逆さまだ」。90歳を超えてなお語り続けずにはいられない、「戦争」の正体。[掲載]朝日新聞(2015年6月27日、7月4日、7月11日、6100字)

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