政治・国際
朝日新聞社

野良犬と呼ばれて 戦争孤児の戦後70年

初出:朝日新聞2015年7月28日、7月29日
WEB新書発売:2015年8月27日
朝日新聞

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 「拾うか、もらうか、盗むか」。生きる道は、それしかなかった――。神戸大空襲で母を失い、10歳で孤児になった男性。焼け跡の大きな金庫に仲間と寝泊まりし、無賃乗車で東京へ。その後、孤児施設に入り、13歳で小学校に通った。孤児への差別や偏見は根強かったが、定時制高校から夜間大学に進み、27歳で中学教員になった。母に「ここまで生きてきたよ」と言いたい、その思いが支えだった。3人の戦争孤児が語る戦後70年。

◇第1章 両親失い「野良犬」と呼ばれた
◇第2章 心押し殺し、親戚宅で生きた


第1章 両親失い「野良犬」と呼ばれた

◎生きるには「拾うか、もらうか、盗むか」
 「はよ逃げるんやっ」
 焼夷(しょうい)弾の嵐で天井が崩れかけた防空壕(ごう)から強く外へ押し出された。その時の必死な表情が、最後に目にした母の顔となった。
 1945年6月5日の神戸大空襲。山田清一郎さん(80)=埼玉県小鹿野町=の母は、崩壊した防空壕に埋もれた。父は3月の空襲で失っており、山田さんは10歳で孤児となった。「ここに母ちゃんがいる」と思うと離れられず、2日間ほど防空壕の前に座り込んだ。空腹に耐えかねて食べ物をあさり、また戻る。その繰り返しだった。


 終戦後も頼る人はいなかった。「拾うか、もらうか、盗むか」。それしか生きる道はなかった。屋台の客の食べ残しにとびつく。残飯もすくって食べた。
 三ノ宮駅近くの焼け跡に壊れた大きな金庫があった。数人の仲間と寝泊まりした。冬場は寒さをしのぐため、汽車に無賃乗車して、車内で眠った。「狩り込み」と呼ばれる取り締まりで捕まったこともある。悪臭がする浮浪児を職員は「一匹、二匹」と数え、裸にしてホースで水をかけた。「ばい菌の塊」「野良犬と同じ」と言われた。母の顔を思い出し、涙がこぼれた。


 一つ年下のアキラという少年がいた。大阪と神戸の空襲で母と祖母を亡くし、出征した「父ちゃん」が帰る日を待ちわびていた。兄弟のようにいつも一緒だった。
 ある日、元町駅近くの店から2人でトマトを盗んだ。店の人に追われ、人混みを抜けて通りに出た瞬間、走ってきた車にアキラがひかれた。車の下でピクリとも動かない。即死だった。真っ赤な血が路上に広がり、つぶれたトマトが転がっていた・・・

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野良犬と呼ばれて 戦争孤児の戦後70年
216円(税込)

「拾うか、もらうか、盗むか」。生きる道は、それしかなかった――。神戸大空襲で母を失い、10歳で孤児になった男性。焼け跡の大きな金庫に仲間と寝泊まりし、無賃乗車で東京へ。その後、孤児施設に入り、13歳で小学校に通った。孤児への差別や偏見は根強かったが、定時制高校から夜間大学に進み、27歳で中学教員になった。母に「ここまで生きてきたよ」と言いたい、その思いが支えだった。3人の戦争孤児が語る戦後70年。[掲載]朝日新聞(2015年7月28日、7月29日、4000字)

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