政治・国際
朝日新聞社

インドネシアで「英雄」、日本では「戦死」 二つの祖国を持つ男

初出:朝日新聞2015年8月7日、8月16日
WEB新書発売:2015年8月27日
朝日新聞

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 第二次世界大戦末期から終戦直後にかけてインドネシアでは独立運動が盛り上がり、当時の宗主国オランダとの間で独立戦争が起こる。独立派に関わった旧日本軍の男性は「独立の英雄」ともてはやされたが、一時拘束されて引き揚げ船に乗れず、本人が意図しないまま残留日本兵に。祖国日本では「戦死」扱いとなった。その後はコンニャク事業などで成功する。日本とインドネシアの架け橋ともなったこの男性らの生涯を追う。

◇第1章 引き揚げ船は去った
◇第2章 恨み忘れて戦った
◇第3章 家族持ち、駐在所長に
◇第4章 老境の戦友、支え合い
◇第5章 恩返しの奨学金
◇第6章 日本で聞いた、祖父の歌
◇第7章 コンニャクを日本へ
◇第8章 輸出「絶対やめない」
◇第9章 日本人墓地で眠る「英雄」
◇第10章 コンニャクがくれた夢


第1章 引き揚げ船は去った

 1942年3月、インドネシア・スマトラ島。日本軍はこの地を植民地支配していたオランダ軍の反撃を受けず、上陸に成功した。
 石井正治(まさはる)さんは、先陣を切った近衛師団の経理担当兵だった。16年に札幌市で生まれ、北海道釧路市で育った。徴兵検査で36年、天皇の警護もする近衛騎兵連隊に選ばれた。


 「ヨシ、俺は海外にいくぞ。未開の天地は何処(どこ)にでもある」。少年時代に描いた将来の自分を、後に著書「南から」で書いている。
 夢はかなった。日露戦争以来の近衛師団の出征となる近衛混成旅団に騎兵中隊として加わり、39年に中国南部に上陸。その後、偵察を担当する近衛捜索連隊に異動し、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポールと時に自転車も使って南下していった。
 順調に見えた人生は、スマトラ島ムラボで迎えた終戦で転がりだす。
 45年8月17日、スカルノ氏(後の初代大統領)が独立を宣言。再び進駐したオランダとの間で独立戦争になる。独立派は日本の武器が勝機を導くとみて、敗戦処理で残っていた石井さんの部隊に引き渡しを要求した。だが、武器取引は連合軍に禁じられていた。
 「渡さないなら奪う」。独立派は12月、そう通告した。折しも日本への引き揚げ船が到着。石井さんは経理の仕事で住民と接触し、インドネシア語もできたため、交渉役を買って出た。
 「兵器はすでに処分され、日本軍は撤収する。もし攻撃すれば、日本軍は反撃するぞ」
 はったりを交えた説得は成功し、独立派は日本軍の撤収を見守ることに。ここで誤算が生じた。攻撃してきた場合に備えてと、独立派は石井さんを人質として監禁したのだ。その間に、仲間たちが乗った引き揚げ船は出港してしまった・・・

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インドネシアで「英雄」、日本では「戦死」 二つの祖国を持つ男
216円(税込)

第二次世界大戦末期から終戦直後にかけてインドネシアでは独立運動が盛り上がり、当時の宗主国オランダとの間で独立戦争が起こる。独立派に関わった旧日本軍の男性は「独立の英雄」ともてはやされたが、一時拘束されて引き揚げ船に乗れず、本人が意図しないまま残留日本兵に。祖国日本では「戦死」扱いとなった。その後はコンニャク事業などで成功する。日本とインドネシアの架け橋ともなったこの男性らの生涯を追う。[掲載]朝日新聞(2015年8月7日、8月16日、7600字)

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