政治・国際
朝日新聞社

反日感情なぜ和らいだ 太平洋戦争、南方の記憶と歩み

初出:朝日新聞2015年8月4日〜8月12日
WEB新書発売:2015年8月27日
朝日新聞

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 華人2万5千人が「粛正」されたシンガポール。リー・クアンユー首相の「戦争は忘れないが許そう」という言葉で、反日の空気が変わった。マニラ市街戦で「10万人」が死亡したフィリピン。海外旅行が自由化された1964年以降、日本から多くの戦没者遺族が訪れ、現地の人々に謝意を示したという。経済支援もあり、日本嫌悪の感情は次第に変化していった。太平洋戦争の戦火は、東南アジア・オセアニアを巻き込んだ。当時「南方」と呼ばれていたこの地域の人々は、日本との歴史をどう考え、歩んできたのか。

◇【シンガポール】建国50年を迎えるシンガポール。終戦後、「反日」の空気に覆われた国が変わったのは、何がきっかけだったのか
◇【ミャンマー】独立のため日本軍と協力し、抗日に転じたアウンサン将軍。ミャンマーでは、日本軍の評価は今も二つに割れる
◇【フィリピン】激戦下で多くの住民が犠牲になったフィリピン。反日感情は和らいだが、過去を問い続ける人たちがいる。
◇【インドネシア】日本が石油を狙って侵攻したインドネシア。「親日国」になるまでの道のりは、平坦(へいたん)ではなかった。
◇【ベトナム】暗い過去を胸にしまい、成長するベトナム。いくつもの戦争の歴史が、人々を未来に向かわせる。
◇【オーストラリア】オーストラリアの国家史上、本土を攻撃した唯一の外敵が日本。今も「日本の豪州侵略説」が広く信じられている。
◇【タイ】タイは東南アジアで唯一、独立を守った。日本軍と結んでも生き抜いた知恵は、戦後の歩みにも通じる。


【シンガポール】建国50年を迎えるシンガポール。終戦後、「反日」の空気に覆われた国が変わったのは、何がきっかけだったのか

 シンガポール都心部に、高層ビル群を背に立つ白亜の紳士像がある。トーマス・ラッフルズ。1819年に上陸して英領植民地を建設。人口150人ほどの漁村が都市国家に発展する礎を築いた。子どもたちは「創始者」の上陸から、この国の歴史を学んできた。
 ところが2014年、異変が起きた。教育省が「交易港としてのシンガポールの起源は14世紀」とし、中学1年生の歴史教科書を大幅に見直したのだ。歴史は500年もさかのぼった。
 新教科書には、14〜19世紀前半の歴史が約90ページ加わった。ページ増の結果、太平洋戦争以降は中2で別の教科書で学ぶことになり、内容にも変化が見える。
 太平洋戦争の開戦から2カ月後の42年2月、マレー半島東岸から上陸した日本軍は、英軍が要塞(ようさい)を築き、海上輸送の拠点になるとも見ていたシンガポールを攻略。約3年半支配した。


 00年ごろまで使われた中学1年の教科書では、日本統治期を「悪夢のよう」とし、日本兵が住民に銃剣を突き刺す写真を載せていた。新教科書でこの写真は消えた。統治への批判には引き続き紙幅を割くが「(日本が)勤勉さ、謙遜などの価値を推進した」といった記述も加わった。

◎占領後の「粛清」
 シンガポール中央部のフォード工場跡。42年2月15日、英軍が日本軍に降伏した場所は06年2月、戦争記念館になった。
 日本統治時代で最大の悲劇を説明する展示写真がある。大通りに多くの男たちが集められ、日本兵らが見張っている。占領直後に起きた華人の「粛清」だ。
 当時、日本と戦う中国を支援し、抵抗する華人がいた。日本軍は「抗日分子」を取り締まろうと華人を集め、その場で尋問した。
 中華総商会(華人の商工会議所)の資料では、18〜50歳のすべての華人男性が集められ、反日と判断された少なくとも2万5千人が殺されたとする。
 当時の日本軍関係者らの回顧録などでは、多くが犠牲者数を1千〜6千人とし、数についての見方は大きな開きがある。ただ、事件が対日感情を悪化させたことは疑いがない。
 華人男性と結婚し、51年にシンガポールに移り住んだ日本人の陳勢子さん(85)は「日本への憎しみはすごかった。日本語は話せず、日本人であることも隠した」と振り返る・・・

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反日感情なぜ和らいだ 太平洋戦争、南方の記憶と歩み
216円(税込)

華人2万5千人が「粛清」されたシンガポール。リー・クアンユー首相の「戦争は忘れないが許そう」という言葉で、反日の空気が変わった。マニラ市街戦で「10万人」が死亡したフィリピン。海外旅行が自由化された1964年以降、日本から多くの戦没者遺族が訪れ、現地の人々に謝意を示したという。経済支援もあり、日本嫌悪の感情は次第に変化していった。太平洋戦争の戦火は、東南アジア・オセアニアを巻き込んだ。当時「南方」と呼ばれていたこの地域の人々は、日本との歴史をどう考え、歩んできたのか。[掲載]朝日新聞(2015年8月4日〜8月12日、14900字)

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