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朝日新聞社

タイの自称中国人、実は脱走日本兵 「帰っても意味はないんだ」

初出:2015年8月18日〜8月28日
WEB新書発売:2015年9月10日
朝日新聞

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 タイ中部の農村。終戦後間もなく、村にやって来た男がいた。男は中国人だと名乗ったが、村人たちの多くは日本人だと思っていた。「親兄弟は原爆で死んだ。だから帰っても意味はないんだ」と言っていたのを聞いた元同僚もいる。「お父さんは日本人なの」と聞いた一人娘は「そうだ。でも、それ以上聞いてはいけないよ」と言われたという。昔も今もタイの人々にとって日本は「隣人」だが、その目には日本はどう映っているのだろう。

◇第1章 「日本」と呼ばれた男
◇第2章 国籍偽り生きた脱走兵
◇第3章 恋に落ち、小舟で脱走
◇第4章 お父さんは日本人なの?
◇第5章 「死の鉄道」記憶は今も
◇第6章 怖かった「コラー!」
◇第7章 村に戻った一人娘
◇第8章 日本人の孫と言われても
◇第9章 ひ孫、和の文化に憧れて
◇第10章 隣人としての日本とは


第1章 「日本」と呼ばれた男

 その集落は、村のなかでも貧しい人びとが多いところだと村長は言った。質素な高床式の木造家屋が隣り合う。その一番端に立つ家は空き家で、崩れ落ちそうなたたずまいだった。
 「この家は少し変わっています。入り口の扉の上半分が格子になっていることやバルコニーの柱の角度など、タイの様式とは違います」。案内してくれた近所の女性が言った。
 バンコクから西に車で2時間余り。タイ中部ラチャブリ県の中ほどにあるコクモーパッタナー村は、ありふれたタイの農村だ。集落の裏手を流れるメークロン川を30キロほど北上すると、県北端のバンポンに着く。ここからメークロン川を北西にさかのぼると、やがてクウェー川に達する。
 そこからさらに4キロほど上流にかかる鉄橋が、「戦場にかける橋」で知られるクウェー川鉄橋である。バンポンは、1942年に建設が始まったタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬(たいめん)鉄道の資材拠点であり、日本軍の捕虜となった連合軍兵士ら労働者のキャンプが置かれた町だった。
 川が物資輸送に使われたためか、コクモーパッタナー村の寺院にも日本軍部隊が駐屯した。「白人の捕虜が来ては、どこかに連れて行かれた」と村の長老は当時の記憶をたどった。
 終戦後間もなくして村にやって来た男がいた。ジョン・セーリムと名乗り、中国人だと言った。タイ人の女性と一緒で、れんが工場の従業員寮に住み込んだ。娘が大きくなった60年代半ば、近くの集落に家を建てた。冒頭で触れた、変わったデザインの家だ。
 地元の人びとと違って色が白かったが、あだ名は「ダム(黒)」。周囲からはルン・ダム(ダムおじさん)と呼ばれた。本人がいない時、隣人らは「イープン(日本)」と呼んだ・・・

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