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朝日新聞社

群馬のデカセギ日系ブラジル人

初出:2015年8月30日〜9月11日
WEB新書発売:2015年10月1日
朝日新聞

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 群馬県の太田市や大泉町には多くのブラジル人が暮らしている。日系人や2世も珍しくない。「快適な住宅、日本よりはるかに高い収入」。そんな甘い言葉に渡航を決意したが、あまりに違う現実に驚いたという移民は少なくなく、日本政府の政策は「移民でなく棄民」と批判も受けている。現地永住ではなく帰国を見据えていた人も多い。移民というより「出稼ぎ」の感覚だったようだ。今や「デカセギ」はポルトガル語に取り入れられ、日本に行くブラジル人たちを指す言葉にもなっている。

◇第1章 日伯つなぐ学校、夫妻尽力
◇第2章 渡航後の暮らし、天地の差
◇第3章 職転々、ブラジル流生き方
◇第4章 多民族の国「日本人」貫く
◇第5章 24年ぶり帰国、発展に感激
◇第6章 来たれ日系人、町長旗振り
◇第7章 垣間見た工場の「裏の顔」
◇第8章 「日系人は日本人と同じ」
◇第9章 共生の町、蜜月の終わり


第1章 日伯つなぐ学校、夫妻尽力

 町外れの国道沿いに、役場が立てたカラフルな看板がある。「ようこそ!日本のブラジル おおいずみへ」。大泉町では、ブラジル人が住民の10%近くを占める。目抜き通りにブラジル人が通うスーパー、料理店、雑貨屋、美容院、旅行会社や教会が並ぶ。そんなブラジル・タウンの一角に、ブラジル人学校の日伯(にっぱく)学園がある。
 邑楽町の校舎と合わせ、2歳から高校生まで約90人が在籍している。各教科はポルトガル語で教え、それとは別に日本語の授業が連日ある。
    ◇
 高校3年生のフェリペ・ユジ・ミヤギ君(18)は町立の小中学校を経て、同校に入学した。父はブラジル生まれの日系2世、母はイタリア系ブラジル人だ。両親は20年以上前に来日し、町周辺の工場で働いてきた。
 学校にはユジ君と同じ日系ブラジル人の同級生が他に9人いる。ブラジル生まれが4人、6人は日本で生まれ育った。卒業を12月に控え、10人は進路に思いを巡らす。
 ユジ君は数人の同級生と一緒に、東海大学教養学部国際学科(神奈川県平塚市)を受験したいと考えている。適性や人物を重視するAO入試なら、ポルトガル語でも受験できる。「いろいろな国の言葉と文化を学び、たくさんの人と話をしたい。困っている人を助ける仕事をしたい」。ユジ君の夢だ。
 全国に約60といわれるブラジル人学校の生徒にとって、大学進学は難関だ。日伯学園は文科省によって日本の高校相当と認められ、卒業生は日本の大学を受験する資格がある。とはいえポルトガル語で教育を受けてきたから、一般入試に挑む生徒はまずいない。推薦入学やAO入試の可能性を探っても、東海大国際学科のようにブラジル人学校生に広く門戸を開く大学はまだ少数だ。日伯学園はブラジル教育省に認可されているため、ブラジルの大学へ進む生徒もいる。
 ユジ君は日本の学校にも、ブラジル人学校にも友人がいる。ポルトガル語が得意な子、母語より日本語が流暢(りゅうちょう)な子、学校をやめてしまい、どちらの言語も使いこなせない子。友人によってユジ君が使う言葉も変わる。「帰国移民2世」とも呼ばれるこの世代には、日本で成長し、将来もこの国で生活する道を選ぶ若者が多い。
 日伯学園は日本語教育に熱心な学校として知られる。そこには、創立者である高野祥子さん(70)の考えが反映されている。「ブラジルの文化を受け継ぐ子どもたちには、多様な日本社会をつくっていく可能性がある」
    ◇
 祥子さんと夫の光雄さん(78)は半世紀あまり前、日本からブラジルへ渡った。2人はブラジル南部で結婚し、農業や商売で事業を興した。4人の子を朝ブラジルの学校へ送り出し、午後には日本語学校へ通わせた。移住から約30年を経た1989年、夫婦は再び日本の土を踏む。「デカセギ」をしながら旅行をする計画だった。大泉町のアパートに落ち着き、家電部品工場で働いた。
 デカセギ(dekassegui)はポルトガル語に取り入れられ、日本での就労、また日本へ働きに行くブラジル人たちを指す言葉として定着した。天文学的なインフレに苦しむブラジルと対照的に、当時の日本はバブル景気。大泉町では、働き手不足の中小企業が労働力を確保するため、南米から日系人を誘致した。中には日本語をほとんど話せない2世や3世もいた。
 「日系人なのに、指示を理解できないのか」。工場で怒鳴られる同僚を見た祥子さんは日本語の必要性を痛感し、日本語教室を開いた。家族そろってデカセギに来る日系人が増え、子どもの教育について夫妻は相談を受けるようになる。日本語教室はブラジル人学校へと発展していった・・・

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