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朝日新聞社

復興を背負った子どもたち ふたば未来学園の半年

初出:2015年9月3日〜9月13日
WEB新書発売:2015年10月1日
朝日新聞

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 復興の担い手を育てるため、2015年4月に開校した福島県立ふたば未来学園高校。避難先の家が遠く、1年生152人の半数が学校の寮で暮らす。寮では「転校先の学校に居場所はなかったよね」「仮設住宅は狭いから、音を出すのをいつも気にしていた」と思い出話で盛り上がることも。野球部員たちは8月、監督の運転するバスで双葉郡を走った。「おれ、この店でランドセル買ったんだよ」「家族ですしを食いにきたんだ」。双葉に戻って半年、高校生たちの日常を追った。

◇第1章 未来信じた初勝利
◇第2章 感じた「不条理」、劇で表現
◇第3章 陸上あったから、くじけなかった
◇第4章 ゼロからの寮生活、ルール試行錯誤
◇第5章 伝えたい福島、日本語で英語で
◇第6章 「社会起業部」から地域を元気に
◇第7章 見つけた居場所、生徒会活動
◇第8章 バスから見た地元、はしゃいだ


第1章 未来信じた初勝利

 2015年8月2日、福島県いわき市のグラウンド。県立ふたば未来学園高校の野球部17人は練習試合に臨んでいた。原発事故で避難した双葉郡の子どもたちのために、15年4月に隣の広野町に開校した。全員1年生。これまで勝ったことはない。この日の相手は、部員数が足りない4校の連合チームだ。
 《一回表。ふたば未来は打者12人の猛攻で7点を挙げる。》
 沸き立つ部員の中で、投手の草野陸世(りくと)さん(15)は冷静だった。疲れで終盤にストライクが入らなくなった7月の福島大会を思い出していた。1―12で7回コールド負け。降板し、右翼を守りながら涙がとまらなかった。
 草野さんの自宅は、広野町の隣の楢葉町にある。原発事故でほぼ全住民が避難し、15年9月5日にようやく避難指示が解除される自治体だ。草野球で父が本塁打を放つ姿にあこがれ、地元の少年野球チームに入った。原発事故が起きたのは小学5年。祖母が住むさいたま市に、家族5人で避難した。野球が再びできたのは1年後だ。家族でいわき市まで戻り、市立中学の野球部でひたすら練習に励んだ。「避難生活のごたごたから離れ、好きな野球を楽しみたかった」


 《一回裏。内野のエラーが重なり、ふたば未来は2安打で2点を返される。》
 ふたば未来の野球部に、地域も期待を寄せる。福島第一原発から約3キロのところには、甲子園に3回出場した県立双葉高校があった。いわき市の仮校舎で授業を続けているが、避難による生徒不足で17年春に休校になる。「地域を再びもり立てるため、甲子園をめざす学校にしたい」と県の教育長が牽引(けんいん)し、ふたば未来の入試のスポーツ選抜に「野球」枠が設けられた。
 ところが、受験したのは草野さんと、もう一人だけだった。捕手で主将を務める、同じ楢葉町出身の遠藤和明さん(15)。2月の入学試験で「えっ、2人だけ?」と顔を見合わせた。「9人そろえよう」とクラスや寮で勧誘を続けた。初心者には「一から教える」と説得した。
 右翼を守る新妻拓偉(たくい)さん(16)は「1年4組」で席が隣の草野さんに誘われた。
 避難で学校を5回も転々とした。いわき市にいた中学1年の1学期は野球部にいたが、2学期から移った広野町の中学ではバドミントン部に。双葉郡の各町村が避難先などに設けている中学は生徒数が少ないため野球部はない。「チームでできるスポーツがしたかった」
 双葉郡にいた約6500人の小中学生は1回の転校で済んだ方が少数。少しでも落ち着ける居住先を親が求め、多くが転校を重ねてきた。郡出身の野球部員15人のうち7人が高校までに3回以上引っ越している=表。


 監督の荒峰雄さん(52)は5月ごろまで、素人ばかりのチームで試合など到底無理と思っていた。県立高校を甲子園に導いた経験もあり、キャッチボールの仕方から教えた。その部員たちが、グラウンドで伸び伸びとプレーしている。
 《五回表。ふたば未来に追加点が入る。8―4。》
 《五回裏、六回裏、七回裏と1点ずつ失う。8―7。》
 追われる展開。選手たちは、回が終わるたびにスコアボードを振り返る。
 福島大会後、43キロだった草野さんの体重は3キロ増えた。惨敗の日、次の試合を控えた学校の監督に球場内で声をかけられた。「毎日走り、きちんとご飯を食べればスタミナはつく。必ず良い日は来るからがんばれ」。それから毎食、3杯の丼ごはんを食べ続けている・・・

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