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文化・芸能
朝日新聞社

東大やめた日の空が青かった 解剖学者・養老孟司さんの半生記

初出:2015年9月14日〜10月2日
WEB新書発売:2015年10月15日
朝日新聞

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 「からだの見方」「唯脳論」「バカの壁」などのベストセラーで知られる、解剖学者の養老孟司さんは、1995年、定年まで3年を残して東京大学教授を退官した。早期の退職に、特に理由はなかったそうだが、「辞めた日の朝、空があんまり青くてきれいに見えるもんだから、『あれえーっ?』とびっくりしましたよ」。堅苦しい国立大学の勤務から解放された喜びをこんな言葉で表現する。虫少年だった少年時代、家族への複雑な思い、学生運動に向き合った経験、研究や執筆に対する姿勢など、ユニークな視点が次々と飛び出す、おもしろまじめな半生記。

◇第1章 団体行動が苦手、「兵隊だけはイヤ」
◇第2章 死にゆく父に言えなかった「さよなら」
◇第3章 生き方自己流、陽気な母
◇第4章 片付かないこと多く、ずいぶん飲んだ
◇第5章 ハワイの研究者と虫の話題で文通
◇第6章 自分がしたことのまま、解剖は落ち着く
◇第7章 全共闘、真正面から受け止めた
◇第8章 理解の範囲超えていたオウムの学生
◇第9章 献体、頼むと「お役に立てるなら」
◇第10章 東大教授辞めた日の空、青かった
◇第11章 標本にした昆虫、「虫塚」作り供養
◇第12章 いいから自然にふれなさい


第1章 団体行動が苦手、「兵隊だけはイヤ」


 ――2015年夏、終戦70年でした。終戦を、神奈川県にあったお母様のご実家で迎えたそうですね。

 そう、現在の相模原市です。玉音放送は聞いていませんが、叔母が「戦争に負けたらしいよ」と教えてくれましたね。僕は小学校2年でしたが、一種のショックはあったな。大人たちが一生懸命やってたことを見て知ってましたから。「無敵皇軍」。負けるはずがないものが負けたっていうんだから。「なんだそれは」というショックですね。

 ――軍国少年でした?

 いや違ったな。なにしろ団体行動が苦手な子どもでしたから。戦前はそういう子には世間が厳しかったんですよ。「姿勢が良くない」とかいうことで厳しく叱られた。幼稚園まで左利きだったんですが、それもそのとき直されましたね。あまりに団体行動が嫌いだったから、将来何になりたいかと聞かれて「兵隊さんだけはイヤだ」って答えてました。

 ――子どもとはいえ、そんなことを言って危険ではありませんでした?

 もちろん家の中でしか言いませんよ。それが庶民の知恵ってもんです。母が話していたことですが、僕のオヤジは召集されたのに結核だったためすぐ帰されたそうです。オヤジは「恥ずかしい」といって家に隠れていたそうですが、横町の酒屋さんのおかみさんがやってきてね、「大きな声では言えないけど、よかったですね」って言ったそうです。当時の庶民はそういう感じだったんですよ。ちゃんと庶民の知恵があった。

 ――ご自身も子どもの頃は病弱だったそうですね。

 最大の理由はヘルニアがあって、2歳の時に外来で手術したときに、無麻酔で手術したんです。僕が大暴れしたんでしょうね、患部を縫った糸にブドウ状球菌がついてて、その菌が体内でうみをだし続けていた。それを抱えていたので、しょっちゅう微熱をだすような子どもでした。
 小学校1年の時に原因がわかって東大病院に入院したんですが、戦中でしたからね。空襲が始まるたびに患者は地下に避難してました。病室のガラスがビリビリふるえてたの、覚えてるもの。

 ――幼稚園から高校まで通った一貫校はスパルタ教育だったそうですが、「学校よりも
ちまたの特高などのほうがよほど恐ろしかった」と著書に書いています。
 大人たちがそう思ってるわけだから、大人たちの様子で伝わりますよね。警察なんて、今より全然怖い存在でしたよ・・・

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