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政治・国際
朝日新聞社

新聞と憲法9条〔3〕 砂川事件とはなんだったのか(2)

初出:2015年8月10日〜9月8日
WEB新書発売:2015年11月5日
朝日新聞

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 平和憲法、とりわけ戦争放棄をうたった憲法9条の行方を占う上で、注目を集めている「砂川事件」。その経緯を振り返る第2巻は、一審の違憲判決を受けた最高裁上告審を取り上げる。「原判決を破棄、差し戻し」という田中耕太郎裁判長らの決断の裏で、米国はどのような働きかけをしたのか? 安保反対運動、アイゼンハワー米大統領訪日計画、ハガチー事件など、緊迫する情勢の中で、裁判所法、司法の独立、国の尊厳さえ踏みにじられていく――。昭和史の闇にまで踏み込むドキュメント。

◇第1章 最高裁判決
◇第2章 新安保条約への道
◇第3章 伊達判事の退任
◇第4章 米国と通じていた裁判長
◇第5章 汚れた裁判


第1章 最高裁判決

 1959年9月7日午前10時3分、15人の裁判官が最高裁大法廷の席についた。傍聴席には米ソの記者数人も陣取り、全111席がほぼ埋まった。砂川事件上告審の審理が始まった(7日付朝日新聞夕刊)。


 検察側は、検事総長の清原邦一が自ら総括弁論に立った。極めて異例だった。
 「(東京地裁の違憲判決は)憲法の解釈に重大な誤りを犯した不当なものであると思料いたします。……速やかに原判決破棄の審判あらんことを」
 さらに検察側は主張した。
 「わが国の平和と安全のために、現実に自衛戦力を保持すべきか否か、果たしていずれがわが国の平和と安全を確保する所以(ゆえん)であるかは、諸般の条件を考慮して決定さるべき政策問題であって、憲法第九条の解釈問題ではない」
 一方、主任弁護人の海野普吉は憲法制定時、9条は自衛戦力をも禁じたと理解されていた、と主張、一通の手紙を引用した。
 新憲法の条文を審議する過程で、9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」の字句を加えた衆院議員、芦田均が、同じ外交官出身の元外相、有田八郎にあてた手紙だった。
 51年2月3日付のこの手紙に、芦田はこうつづっていた。
 「現在の状況にては憲法の解釈如何(いかん)に拘(かかわ)らず、警察力(警察予備隊)とさへ云(い)へはタンク(戦車)、大砲で整備した部隊でも差し支えなしと考えており、恐らく当分これで押通(おしとお)すものと思はれ候(そうろう)」
 「さりとて之(これ)を違憲呼ば(わ)りしては、御国(おくに)のためにならず、憲法改正も容易ならず、結局解釈の余地ある限り自衛の武力は差し支えなしとする他に簡易な方法なしと考えたる次第に候」
 芦田は20日前の51年1月14日付毎日新聞に寄稿し、次の趣旨のことを述べていた。
 自分が「前項の目的を達するため」の字句を加えたことで、自衛戦力の保持が可能になった(連載第38回)。
 海野は、芦田の9条解釈が政治的、政略的な解釈だったことがこの手紙で明らかになったと述べ、次の言葉で弁論を結んだ。
 「最高裁判所においては政策的、政略的議論によって憲法を行政機関による蹂躙(じゅうりん)から守られることを固く信じ、速やかに本件上告を棄却せられることを固く信じて本弁論を終わる」

 砂川事件上告審が最高裁大法廷で始まった1959年9月7日、主任弁護人の海野普吉の弁論中のことだった。傍聴席の一部から2回、拍手が起きた。
 裁判長の田中耕太郎が注意した。
 「ここは演説会場ではありません。拍手は許しません」(8日付朝日新聞)
 弁論はこのあと、9、11、14、16日と続き、弁護側が、米軍駐留を違憲と判断した一審判決を支持する観点から、次のような主張を展開した・・・

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