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文化・芸能
朝日新聞社

50円のミスで叱られた 作家・江上剛の銀行員人生

初出:2015年10月19日〜10月30日
WEB新書発売:2015年11月12日
朝日新聞

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 「いちばん深刻だったミスは、50円の間違いでした……先輩が『合っていることにしておけ』と言うから、報告しなかった……1億や50万のミスより、正直に言わなかった50円のミスの方がたちが悪い」――。第一勧業銀行(現みずほ銀)広報部次長時代の1997年、総会屋利益供与事件で、対応に奔走。同行在職中から小説を書き始め、02年に「非情銀行」でデビューした作家、江上剛さんの、企業と社会を見つめる「目」はどこで養われたのか? 高度成長からバブルまで、日本が一番元気だった時代を駆け抜けた銀行員生活を振り返る半生記。

◇第1章 銀行員から転身「人生に無駄なし」
◇第2章 高校時代に戯曲、揺るぎない存在求め
◇第3章 どの色のヘルメットもかぶらずデモへ
◇第4章 ストリップ劇場をルポ、世界広がった
◇第5章 「金融を誤解」、先輩から丁寧に教わった
◇第6章 1億円のミスより叱られた、50円のミス
◇第7章 「DとK」別々だった人事、必死で一体化
◇第8章 総会屋問題、薄い危機意識に憤り
◇第9章 毎月100枚、期日守り小説家に
◇第10章 大会社という伏魔殿、問い続ける


第1章 銀行員から転身「人生に無駄なし」

 ――都銀マンでキャリアを積み、銀行業界を舞台にした小説が多い江上さんですが、ふるさとは自然豊かな土地なんですね。

 サラリーマンの世界は効率重視でしょ。なるべく無駄を省く。でも小説家になってみると、人生に無駄なものなんて一つもないと思います。楽しいこと、苦しいこと、すべてが糧になる。出身地は兵庫県氷上郡山南町小畑(さんなんちょうおばたけ)村、いまは丹波市の一部です。僕が生まれた昭和29年当時も今も、60軒くらいの集落です。薬草などの商品作物を作って大阪の道修町(どしょうまち)に売りに行ったり、山から木を切り出したり。子どものころ見た大人たちの働く姿や、日常の小さな事件。みんな小説を書くうえで役に立っています。

 ――ご家族は。

 父親は大正15年生まれで、長男なのに18歳で志願して、呉(広島県)の海軍に入った。計算すると昭和18年ころになりますが、入隊したら支給される軍服も軍靴もボロボロだったそうです。それで「ああ、負けるんだな」と思ったそうです。一緒に風呂に入ると、上官にやられた傷があちこちにあってね。小学校で僕はクラス委員。朝礼などで日章旗をあげる係をやってましたが、親父(おやじ)は祝日でも旗をあげない。うちには日章旗がないのかと思って探したら、あるんですよ、たんすの奥に。きれいにたたんであった。そういう親父でした。

 ――お母さんは。

 小畑村は丹波ですが峠をひとつ越えると、もう播州の牧野という土地。母はそこの生まれです。父親を早くに亡くし、頼りにしていた兄も戦死したそうです。縁あって親父のところに嫁いできましたが、親父と違って音楽や芸事に触れるのが好きな人でした。娘時代は映画や芝居を見ては、最初から最後まですべて再現して友達に話してきかせたそうです。この夫婦に戦後の昭和24年、まず僕の兄が生まれ、27年に姉。僕は末っ子で、土地の言葉で言うと「おとんぼ」です。

 ――ご実家は農業ですか。

 いや、林業ですよ。復員した親父が、俗に「バタコ」と呼んでいたオート三輪を買い、入山権を手に入れて始めました。仏様に供える樒(しきみ)や神事で使う榊(さかき)、クリスマスツリー用のモミの木とか切り出して、大阪や神戸に売りに行く。徐々に商売が大きくなって現金収入はあったんですが、祖父が大きな借金を作っていましてね、資金繰りに苦労していました。ときどき郵便受けに他の郵便と色の違う封筒が入っていると、融資返済の督促状なんです。幼いころ、姉にこう言われました。「大きくなっても銀行員にはならないでね。誰もお嫁さんに来てくれないから・・・

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