【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

世相・風俗
朝日新聞社

夢のマイホーム変遷 団地→郊外一戸建て→シェアハウス

初出:2015年10月14日〜10月16日
WEB新書発売:2015年11月12日
朝日新聞

このエントリーをはてなブックマークに追加

 戦災で多くの住宅が焼けた日本。深刻な住宅不足の中で団地が誕生した。1958年、週刊朝日が「新しき庶民“ダンチ族”」という特集を掲載、団地族という言葉は流行語になった。そして80年代、郊外の庭付き一戸建てがブームに。千葉ニュータウンに住む男性は、電車を4本乗り継ぐ片道2時間の通勤でヘトヘトだったが、暮らしには充実感があったという。そしていま。リノベーションされた団地やシェアハウスに若い世代が住み、人との緩やかなつながりを求めるように。住まいの戦後70年を見つめた。

◇第1章 団地、新しい暮らしの象徴
◇第2章 庭付き戸建て、家族の夢
◇第3章 新築より、つながり
◇第4章 遺族の不信感、取り除くには?


第1章 団地、新しい暮らしの象徴

◎抽選7回、自宅でテレビCM撮影
 新婚生活はモダンな団地で、と心に決めていた。
 小澤一男さん(83)、仍子(よりこ)さん(80)の夫婦が多摩平団地(現・東京都日野市)に入居したのは、東京タワーが完成した1958年のことだ。
 一男さんは当時、食品会社に勤めるサラリーマン。各地に次々にできる団地に応募し、7度目の抽選でようやく新居が定まった。
 木造長屋の実家から引っ越した先は、鉄筋コンクリート3階建て2階の一室、約40平方メートル。間取りはダイニングキッチンに二つの和室がついた2DKで、トイレは水洗、風呂はガスだきで浴槽を備えていた。内風呂のある家はまだそう多くなく、「湯船でくつろぐのは夢心地だった」と一男さんは振り返る。
 自宅がテレビCMの撮影に使われたことも。ダイニングキッチンでモデルの親子が笑顔でテーブルを囲み、朝食をとるシーンが放映された。
 小澤さんは「洋風で便利な団地生活は憧れで、戦後の新しい暮らしの象徴でした」。
 神戸市の丸山権三郎さん(80)も、子育て期に10年ほど過ごした同市北区の団地での暮らしを懐かしむ。「5階建ての3階で、三つの和室に台所。今でも、正確に間取りを描けますよ」
 当時小学生だった2人の子どもたちも、「自分の部屋ができる」と喜んだ。子ども部屋には2段ベッドと勉強机、別の部屋には揺り椅子を置き、ちゃぶ台からテーブルに変えた。
 同じ年頃の子育て世帯が同じ時期に入居し、「あんたのとこの子はどうや」と相談しあった。自治会ができ、盆踊りに運動会、餅つき大会も。子どもたちのはしゃぎ声がそこかしこで響いていた。
 その後、一戸建てを建てて団地を去った丸山さん。今でも車で団地の前を通ると、当時のにぎわいを思い出すという・・・

このページのトップに戻る