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政治・国際
朝日新聞社

ユダヤ人を救った日本人外交官 リトアニアでビザ発給続ける

初出:2016年1月1日〜1月10日
WEB新書発売:2016年1月21日
朝日新聞

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 第2次世界大戦中、数千人のユダヤ人をナチス・ドイツから救った日本人がいる。バルト海沿岸のリトアニアの日本領事館にいた杉原千畝・領事代理だ。大西洋側からの脱出が難しくなったユダヤ人が領事館に殺到。日本の外務省が示した条件を満たさない人も少なくなかったというが、杉原は訓令違反を承知でビザ発給を決断した。リトアニアと日本で杉原の足跡をたどる。

◇第1章 6千人救った決断 一つ一つ丁寧に書いた
◇第2章 優しかった日本人
◇第3章 生き残る、敦賀から
◇第4章 親の意反し道選ぶ
◇第5章 60年経て名誉回復
◇第6章 抜群の情報収集力
◇第7章 その葛藤伝えたい
◇第8章 難民問題、今もなお
◇第9章 その勇気を手本に


第1章 6千人救った決断 一つ一つ丁寧に書いた

 机に万年筆、黒いタイプライター、インク入りのビン、ダイヤル式の電話機があり、古びた日本国旗が壁に見える。窓の外の冬空は重い雲が垂れ込める。
 リトアニア第2の都市カウナスの丘に立つ杉原記念館。1939年から約1年間、そこは日本領事館だった。外壁のひびや内壁の塗装のはがれが目に付き、雨漏りもする。その2階建ての1階に8畳間ほどの執務室が再現されている。



 リトアニアは東欧のバルト三国の一つでEUに加盟。岐阜県の6倍にあたる約6万5千平方キロの国土に約291万6千人が暮らす。91年、ソ連から独立した。



 領事代理の杉原千畝は40年7月、この部屋で苦悩していた。ナチス・ドイツが前年にポーランドに侵攻。フランスなどの欧州諸国も制圧した。ユダヤ人難民が迫害から逃れるため、この領事館に日本通過ビザを求めて殺到した。ドイツの包囲網で大西洋側からの脱出が難しかったからだ。日中戦争の最中だった日本は、財政と治安の問題を考慮し、難民の国内の長期間滞在に消極的だった。
 領事館の窓から5メートルほどの鉄柵に詰めかけ、不安そうに撮影者を見つめるユダヤ人たちの写真が今、記念館に展示されている。
 当時、外務省のビザ発給の方針は「行き先の国のビザと十分な旅費を持っていること」。鉄柵の向こうの人々にどれほどの所持金があるのか。
 千畝はビザ発給を決断した。なかには外務省が示した条件を満たさない者も少なくなかったという。内実は訓令違反だった。
 執務室の机に2139人分のリストがある。ビザを受けた人々の名だ。千畝は9月にリトアニアから離れる直前までビザを発給し続けた。
 のちに「命のビザ」と呼ばれることになる・・・

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