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政治・国際
朝日新聞社

記憶を風化させない旅 天皇・皇后両陛下のフィリピン訪問

初出:2016年1月20日〜1月22日
WEB新書発売:2016年2月4日
朝日新聞

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 「日本人なんか見たくない。なんでフィリピンに来たんだ」。神(じん)直子さん(38)は、戦時中、夫を日本兵に殺されたという高齢のバーバラ・ベダッドさんに迫られた――。天皇・皇后両陛下は、2016年1月26日から、フィリピンを公式訪問された。フィリピンは太平洋戦争で日米の激戦地となり、巻き込まれて亡くなった犠牲者は110万人とも言われる。「私達、日本人が絶対に忘れてはならないことだ」と強調した天皇陛下の心中には何があったのか? 迎える現地の様子とともにレポートする。

◇第1章 生き地獄と言われた戦地
◇第2章 日系2世 出自を隠した
◇第3章 被害者と加害者 つなぐ


第1章 生き地獄と言われた戦地

◎フィリピン 飢えや病気に苦しんだ
 まるでカラスの群れのようだった。1944年9月、フィリピン南部ミンダナオ島。陸軍軍曹だった谷口末広さん(95)は、上空から40〜50機の米軍機が急降下するのを目にした。
 地面に掘っていた穴に逃げ込むと「バカーン」という大音響とともに爆弾が破裂した。土をかき分けて顔を出すと、首が伸びきった仲間の遺体がすぐそこにあった。
 援軍はなく、繰り返される米軍の爆撃に仲間が倒れていく。食料は底をつき、遺体のポケットや枕元を探った。「生きるためには何でもやった。死臭もだんだん気にならなくなった」
 先の戦争でフィリピンは日米の最も激しい戦地の一つだったと言われる。圧倒的な戦力差に日本は終始劣勢だった。フィリピンが陥落すれば日本本土に米軍が押し寄せる。本土決戦を遅らせるために死守命令が出され、兵士たちは投降も玉砕も許されなかった。飢えや病気に苦しむ日々。「生き地獄」と言われた。


 北部の島、ルソン島。そこも悲惨な戦場だった。
 軍医の片岡茂太郎さん(94)はクラーク地区で負傷兵に向き合った。シートを敷いただけの拠点で、医療品は包帯や消毒液がわずかにある程度。手足がぐしゃぐしゃに潰れていても、肉が吹き飛んで骨がむき出しになっていても、まともな治療はできなかった。
 部隊が前線から退き、ジャングルの中の行軍が始まると、マラリアや赤痢が流行した。飢えも重なり、一人、また一人と倒れた。しかし、打つ手はない。「やりきれんの一言だった」
 ある時、殺した仲間の肉を食べたとして3人の隊員が処刑された。極限状態の中、越えてはならない一線を越えていた。
 「そこまでさせるのが戦争だ」
     *
 「日米間の熾烈(しれつ)な戦闘が貴国の国内で行われ、この戦いにより多くの貴国民の命が失われました」。天皇陛下は2015年6月、来日したフィリピンのアキノ大統領を迎えた宮中晩餐(ばんさん)会でそう述べた・・・

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