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医療・健康
朝日新聞社

39歳で認知症に 娘が2人、「働かなくては」

初出:2015年10月31日〜12月28日
WEB新書発売:2016年2月12日
朝日新聞

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 39歳でアルツハイマー症と診断された自動車販売会社員。営業職で、2012年の暮れに「異変」をはっきり認識した。車の中で訪問先のマンション部屋番号を確認したのに、玄関で思い出せない。車に戻って再び覚えたが、またわからなくなった。2人の娘は当時、小学生と中学生。まだまだ子育てにお金が必要で住宅ローンもある。「絶対に働かなくてはいけない」――。若年認知症は18〜64歳で発症する認知症の総称。全国の推計患者は3万7800人。現役で働いている人が多いため、休職や退職で生活に困る事態になりやすい。できる限り働き続けるには。企業や診療所の取り組みを紹介する。

◇第1章 41歳、働くんだ/「戻れ」社長が言ってくれた
◇第2章 ともに働く、少しでも長く/職場・医院、連携し支援
◇第3章 働き盛りの夫が…家計直撃/重い住宅ローン・教育費
◇第4章 働ける、生きがいもう一度/退職後も介護施設に勤務
◇第5章 居場所見つけた、前向けた/もう隠さない、畑仕事に喜び
◇第6章 諦めない、仕事も恋も母も/シングル介護「選んだのは私」
◇〈反響編〉 戸惑いと悔恨「情報広がれば」


第1章 41歳、働くんだ/「戻れ」社長が言ってくれた

 通勤に使う定期入れには、自作のカードが入っている。バス、地下鉄、JRの乗降駅のほかに、こう記されている。
 「若年性アルツハイマー本人です。ご協力お願いいたします」
 仙台市の会社員、丹野智文さん(41)は2013年4月、アルツハイマー病と診断された。当時39歳。カードはどこにいるかわからなくなった時に備えて、必ず持ち歩いている。
 大手系列の自動車販売会社の営業職で、成績はトップクラスだった。09年秋から記憶力の低下を感じていたが、12年の暮れに「異変」をはっきり認識した。
 あいさつ回りで、駐車場に止めた車の中で訪問先のマンションの部屋番号を確認したのに、玄関で番号を押そうとしたら思い出せない。車に戻って再び覚えたが、またわからなくなった。仕方なく紙に書いた。
 販売店でも、自分の顧客とわからずに後輩社員に応接を指示し、毎朝顔を合わせている同僚の名前が出てこなかった。「ストレスがひどいのかな」。近くの医院を受診した。
 紹介された専門病院と大学病院で計約1カ月検査入院し、病名が確定した。大学病院で主治医から「間違いありません」と告げられた。隣で同じ年の妻(41)が泣きじゃくっていた。
 4人部屋の病室で、消灯後に布団を頭までかぶり、スマートフォンで「アルツハイマー」「30代」「若年」と検索を繰り返した。「2年で寝たきり」など、絶望的な思いにさせる文字が画面に浮かんだ。
 2人の娘は当時、中学生と小学生。まだまだ子育てにお金が必要で、住宅ローンもある。「絶対に働かなければならない」
 主治医は会社に病名を伝えて「クビにされたら」と案じたが、妻と2人で伝えると決めた。「洗車作業でいいから、雇ってくださいと頼もう」と妻に話した。
 「戻って来い。体は動くんだろう? 机を運ぶ仕事もある」。社長はそう声をかけてくれた。本社の総務部門へ移り、5月の連休明けから復職した。
 「印刷する時 ファイル→印刷→ホーム→印刷する部分を指定→……」
 事務作業の手順をノートに書いたが、翌日になるとできない。同じ作業を3回、4回と繰り返し、必要な情報を書き足した。ノートを見れば作業をこなせるようになった。同僚もすぐに教えてくれる。「できないことだけ手伝ってくれる環境があれば仕事はできる」

◎出会いで前向きに
 丹野さんは、認知症の人と家族の会宮城県支部に通う。支部の若年認知症の人が集まり、合唱団活動もする「翼」に顔を出す。10人ほどのメンバーの大半は60歳前後で、認知症が少し進んだ人が多かった。家族と楽しそうに歌う姿を見るうちに、丹野さんも一緒に歌うようになった。
 13年9月、富山市であった認知症の人たちの交流会に参加し、50代で診断された広島県の男性と出会った。友人から「お前はお前だ」と言われてひきこもり状態を脱したという男性は、診断から約4年たっていた。「2年で寝たきり」ではなかった。
 15年5月、認知症と診断されて不安な人の相談に応じる活動「おれんじドア」を仙台市で仲間と始めた。自分が前向きになれたのは、明るい認知症の人に出会えたから。初日は5人が訪れた。もの忘れを心配する男性に「何ができるかを考えて、楽しく暮らしたほうがいいですよ」と笑顔で応えた。男性は帰り際「来てよかった」と丹野さんの手を握りしめた・・・

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