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朝日新聞社

大震災の子どもたち 阪神と東日本をつなぐ「あの時の10代」

初出:2016年1月9日〜1月15日
WEB新書発売:2016年2月12日
朝日新聞

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 あのときをはっきり覚えている。でも10代の自分にできることは、少なかった――阪神・淡路大震災を10代に体験した人々は、東日本大震災をどう受け止めたのか? 阪神の記憶は、その後の人生にどのように影響したのか? 大災害の経験を踏まえて歩む人々のライフヒストリー。

◇第1章 1・17、わたしの原点
◇第2章 心の鍵、開くまで
◇第3章 遺児の孤独、描く
◇第4章 罪悪感、ぬぐえたかな
◇第5章 微力でも、できるはず
◇第6章 生死分けた友、悩み越え


第1章 1・17、わたしの原点

生かされた意味考えた/「命つなぐ仕事をする」

臓器移植ネットに勤務・前田絵麻さん(32)

 1年前の2015年1月17日。あの瞬間から20年が過ぎた朝、神戸市の東遊園地には身動きがとれないほどの人が集った。その人波が少し収まってから、彼女はひとり、少し居心地が悪そうに、竹灯籠(どうろう)の前に立っていた。
 前田絵麻さん(32)=千葉県浦安市=が命について深く考えるようになったのは、阪神・淡路大震災からずいぶん経ってからだ。でも思いを深めるうちに、原点は震災だと思い至った。そして、命を救う仕事に就くことを決めた。
 慰霊の場に来たのは、震災と向き合っていくと誓うため。ただ、自分よりはるかに重い経験をした遺族たちの存在に圧倒され、少しへこんだ。
    ◇
 21年前の1月17日、小学6年生だった。兵庫県尼崎市の自宅は大きく揺れたが家族も家も無事だった。
 その数日前、途上国の同年代の子の飢餓を伝えるチラシを見て、家の仏壇に手を合わせたことを覚えている。彼らが救われるようにと願ったのか、豊かな国に生まれた境遇への感謝だったか。「同じ世界のこととは思えない」出来事が、今度は目の前の街で起きた。
 自分の周りで命を落とした人はいなかった。その意味はまだ、11歳にはわからなかった。
 2カ月後に進学した神戸市内の私立中の周りも目に見える被害はさほど多くはなく、友人も重い被災経験をした人が少なかったからか、震災の被害を身近に感じる機会は減っていった。
 大学を卒業後、どんな人にも楽しい時間を過ごしてもらえる仕事がしたいと東京ディズニーリゾート(TDR)の運営会社に就職した。翌年、献血会場で骨髄バンクのドナー登録をした。献血と同じで「誰かの助けになれば」というぐらいの気持ちだった。その献血も、仕事が忙しくなると、行かなくなった。
 飢餓の子どものチラシを見た時のように、生きてることに感謝せな、と時々思うことがある。でもすぐ忘れる。そんな繰り返しだった。あの日までは。
 2011年3月11日は勤め先にいた。担当施設の一室でミーティングをしていた午後2時46分。足元から揺れが突き上げた。園内の通路は施設から飛び出した客でいっぱい。施設の被害を確かめ、安全な建物へ客を導いた。このときのTDRの対処は「神対応」とたたえられた。
 慌ただしく動き回って暗くなってから、初めてテレビを見た。画面の中で、黒い波が地を侵していた。たくさんの命が失われていると、すぐわかった・・・

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