世相・風俗
朝日新聞社

官能的なモツ 日本列島、煮込み求めて

初出:朝日新聞2016年2月18日〜3月2日
WEB新書発売:2016年3月17日
朝日新聞

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 東京・銀座。ビル街の裏手には、戦後闇市の面影が色濃く残っている。薄めのみそ味でやわらかく仕立てた「豚モツの串刺し」を、強めの焼酎で流し込んだ。官能的ともいえる、モツのうまみ。アルコールも次第に回ってくる――。居酒屋の定番、煮込み。煮汁をたっぷり入れて煮る料理である。主役は牛や豚などの臓物。地方に行くと、馬や熊、ウサギ、ヤギ、サメ、離島ではウミガメの煮込みもある。日本列島、さまざまな煮込みを求め、旅をした。

◇第1章 ごった煮の驚きを楽しめ
◇第2章 命を頂くマタギの鍋
◇第3章 ソウルフードの馬肉をたぐる
◇第4章 ウミガメ食べて海に帰る?
◇第5章 フカヒレでなくても三拍子
◇第6章 民話の世界、ジビエの魔力
◇第7章 西の牛スジ、東の豚モツ
◇第8章 町のいとしさ、銀座で談義
◇第9章 チューハイ・闇市・人力車
◇第10章 ヤギ、汁まぬがれて砂風呂へ


第1章 ごった煮の驚きを楽しめ

 夜風に赤ちょうちんが揺れる。冷えた体を温めてくれるのは酒。そして大鍋から湯気を立てている煮込みである。
 おーい、煮込みよ。今宵(こよい)もお前を求めて彷徨(さまよ)わん。向かったのは東京・浅草。昔からの庶民の盛り場だ。
 浅草寺の近く、場外馬券場へとつながる通称「煮込み通り」(「ホッピー通り」とも)をそぞろ歩く。コップ酒をあおる人が見える。食べ物をつつく人たちの笑い声も聞こえてくる。終戦後の混乱期、このあたりには露天商らによる「闇市」があった。
 「浅草は煮込みと同じ。いろんなところから来た人たちのごった煮。店のカウンターには訪れた人たちの汗や涙、ため息が一緒くたになって染み付いているのです」
 鯨料理店「捕鯨舩(せん)」のマスター河野通夫さん(70)は語る。鯨の刺し身や竜田揚げもうまいが、ここへ来たら牛のモツ煮込みを食したい。新鮮で、きれいに下ごしらえされた内臓は臭みがなくやわらかい。仕込みを始めるのは朝10時ごろ。丁寧に灰汁(あく)をとりながらシロ(小腸)やフワ(肺)など5種類のモツを弱火でじっくり煮込む。調味料は味噌(みそ)がベース。隠し味は企業秘密。豆腐もコンニャクも入っており、かみしめると絶妙な甘さが口の中に広がる。
 「たけしも下積みのころ、この煮込みを食べて明日のスターを夢見た」という。たけしとは、ビートたけしさんのことである。東京は足立区生まれ。大学を中退後、迷い込むようにやってきたのが浅草の街だ。
 「『おい、たけし。これ飲め、これ食ってけって』と。先輩芸人や地元の人がおごってくれたのです」。河野さん自身、浅草の松竹演芸場で人気があった「デン助劇団」の元役者。1977年にいまの仕事を始めたが、2000年、脳梗塞(こうそく)で倒れた。
 不自由になった右半身。一緒に店を切り盛りしていた妻のメモを偶然見つけた。〈行くも地獄、戻るも地獄、同じ地獄なら進もう〉。リハビリを始め、調理場に立てるようになった。
 「煮込みを作ることが回復につながると思った。この鍋には、妻への感謝の気持ちも煮込まれているんです・・・

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官能的なモツ 日本列島、煮込み求めて
216円(税込)

東京・銀座。ビル街の裏手には、戦後闇市の面影が色濃く残っている。薄めのみそ味でやわらかく仕立てた「豚モツの串刺し」を、強めの焼酎で流し込んだ。官能的ともいえる、モツのうまみ。アルコールも次第に回ってくる――。居酒屋の定番、煮込み。煮汁をたっぷり入れて煮る料理である。主役は牛や豚などの臓物。地方に行くと、馬や熊、ウサギ、ヤギ、サメ、離島ではウミガメの煮込みもある。日本列島、さまざまな煮込みを求め、旅をした。[掲載]朝日新聞(2016年2月18日〜3月2日、12500字)

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