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朝日新聞社

社会人はなぜ走るのか 「ラン」がこれだけ人気になった理由

初出:2016年3月17日〜3月25日
WEB新書発売:2016年4月21日
朝日新聞

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 「社会に出ると思うようにいかないことも多い。マラソンは練習した分だけ成果が出るという気持ちにさせてもらえる。社会人が走ることにはまるのはそんなところ」……。マラソン、ランニング、ジョギング、トライアスロンなどなど、「走る」人気が止まらない。昔は社会人が走るのが趣味というとちょっと変わった人扱いだったのに、なぜこうなったのか? 自らも中学時代から走り続けてきた記者が、「日本人と『ラン』」の関係をたどるユニークなエッセイ。

◇第1章 銀座の女性は速かった
◇第2章 座禅のような大人のスポーツ
◇第3章 100キロ走も、スイーツも
◇第4章 巨大化と苦戦と
◇第5章 律義さが生んだ驚異の数字
◇第6章 文化か、ただのブームか


第1章 銀座の女性は速かった

 人生で大切なことはみんな走ることから教わった。
 「みんな」と言ったら言い過ぎだが、中学で陸上競技部に入部してから51歳になる今まで、「走る」ことに関わってきた。レベルは低いが、自分が走って競った時代もあったし、今も走っている選手を福岡を拠点に取材している。
 2月にしては暖かい土曜日の昼過ぎ。皇居の桜田門前の広場をスタートする大会が二つ同時に開かれていた。合わせて300人ほどが、分刻みで飛び出して行く。
 東京都千代田区の調査では2012年1月のある日曜日、皇居ランナーは約9千人を数えた。東京勤務のころ、たまに皇居外周を走った。1周5キロとキリがいい。適度なアップダウンによる呼吸の乱れが、むしろ心地いい。
 ここを走り始めたのは、いったい誰で、いつなのか?
 1964年、東京五輪のマラソンで、円谷幸吉選手の銅メダル獲得に日本中がわいた日から11日後。11月1日未明に皇居を一周するランニング大会が開かれた。主催は銀座の高級クラブやバーの経営者たち。男女約80人が参加し、半数を占めた女子はホステスさんたちだった。女子の優勝タイムは23分30秒。1キロ5分を余裕で切るペースだからなかなかの走力だ。優勝者には賞金5万円と1万2千円相当のブラウスが渡された、と当時の週刊文春は報じている。
 これに触発されたのが皇居そばの国立国会図書館に勤務する男性職員だった。「女子にできて男子にできないわけがない」とマラソンクラブを立ち上げて走り始めた。
 クラブ創設に携わった藤尾正人さん(91)は当時を振り返る。「皇居外周を走っていたのは私たちくらい。排ガスがひどかったが、日本の中心を走っているという快感があった」。15人くらいからスタートしたクラブは10人ほどの女性職員も加わり、2年後には50人ほどにまで増えた。
 市民ランナーのための大会の『元祖』といえば、16年2月21日に50回目の大会を迎えた青梅マラソンだ。16年も30キロを中心に1万7千人の参加者があった。第1回大会は67年。「円谷選手と走ろう」を合言葉に円谷選手ら337人の参加でスタートした。青梅はもともと、起伏のある地形を生かし、マラソンの父、金栗四三氏らが戦前から合宿をした「マラソンの町」だった。
 大会は評判を呼んで第11回大会(77年)には1万人を超えるランナーが走るようになった。その頃から徐々に増え始めたランニング大会はみんな「青梅」を模範にした。「ここまで大会が大きくなるとは想像だにしなかった」と大会会長の市川治郎・青梅市陸上競技協会会長(75)。「来年の51回は第1回大会のつもりで取り組みたい。いい歴史を継承しつつ、未来に向かってやっていく」と話す。
 日本のランニング人口は約1千万人という。雑誌「ランナーズ」を発行するアールビーズ社によると、14年度は、日本陸上競技連盟が公認したマラソンコースで73大会が開かれ、完走者はのべ31万人を超えた。ランニングの大会は、全国で2千とも言われる・・・

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