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文化・芸能
朝日新聞社

俵万智の経験した逆風 サラダ記念日から石垣島移住まで

初出:2016年3月12日〜3月26日
WEB新書発売:2016年5月26日
朝日新聞

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 「五七五七七の文章を書いて教室に持ってらっしゃい」。歌人・佐佐木幸綱の返事が、すべての始まりだった――。1962年大阪府門真市生まれ。87年、歴史に残る大ベストセラー『サラダ記念日』でデビューした俵万智は、その後の人生をどう生き抜いてきたのか? 子供時代から石垣島への移住までの半生をたどるインタビュー。

◇第1章 大失恋が生んだ運命の出会い
◇第2章 「サラダ記念日」で嵐の中へ
◇第3章 うたうことが生きること


第1章 大失恋が生んだ運命の出会い

 旅人の目のあるうちに見ておかん朝ごと変わる海の青あお

『オレがマリオ』


 2016年2月中旬、石垣島はあいにくの小雨で島特有の強風が吹いていた。待ち合わせのカフェに、俵万智(53)は電動自転車に乗って現れた。自宅から市街地まで車で30分以上かかるのに、免許を失効したままという。「俵さんちは車ないって近所で知れ渡っちゃって。いつも誰かが乗せてくれるんです」。そう言うと、少女のようにいたずらっぽく笑った。


 12歳になる息子「たくみん」と島に来て、間もなく6度目の春を迎える。この島にたどりつくまで、たくさんの蛇行と寄り道を繰り返してきた。
 大阪で生まれ、13歳の時、父好夫(よしお)(83)の転職で福井県武生市(現・越前市)に移り住んだ。県立藤島高校に通っていた頃、「藤島カバン」という言葉があった。高校生の間でカバンをぺちゃんこに潰すのがはやっていたが、真面目な進学校の藤島高生のカバンは教科書や参考書でぱんぱんだ、と揶揄(やゆ)する言葉だった。俵も藤島カバンの一人。頑張れば何でもかなうと信じる「超努力家」の、いわゆるガリ勉だった。
 2年生の時、そんな俵にボーイフレンドができた。成績優秀でハンサムなのにちょっと不良っぽい先輩。カバンはぺちゃんこだった。俵は夢中になったが「若葉マーク」の恋はあっけなく終わる。「ごめん、君が一番好きな人じゃなくなった」。俵は額面通り受け取った。「一番ではないけれど、二番。圏外ではないから努力すればまた一番になれるかも」
 なぜ二番になったのか、自分の悪い所を分析して記した手紙を何通も送った。先輩が進学した隣県の国立大医学部を見に行った。でも、頑張っても一番に戻ることはなかった。
 歌人になってからの苦労でもなく、出産後の毀誉褒貶(きよほうへん)でもなく。この失恋が「間違いなく、人生一番の逆風」と俵はいう。「ふぬけになった」。全く勉強しなくなり、東大京大を狙えた成績はガクンと落ちた。悩みすぎたのか、肩が「鉄板のようにガチガチになった」。
 父が「アメリカの大学もいいぞ」と願書を集めてきたが、俵はふぬけたまま、ちょうど指定校推薦の枠があった早稲田大学に流されるように入学、抜け殻のまま上京した・・・

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