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政治・国際
朝日新聞社

田中角栄がアイドルだった 越山会に集った人々

初出:2016年6月14日〜6月16日
WEB新書発売:2016年7月7日
朝日新聞

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 「田中角栄」がいまブームだという。角栄が首相になったとき4歳だった記者は、リアルな角栄を知らない。2016年参院選公示を前に、選挙に燃えた旧越山会会員らを取材すると、いまの政治との違いが見えてきた――。人々は「角栄」にどんな夢を託したのか。その答えを探して歩いたルポ。

◇第1章 柔軟性、併せ持つリーダー
◇第2章 「AKB48みたいな存在」
◇第3章 苦しい生活変えてくれた


第1章 柔軟性、併せ持つリーダー

再び田中角栄ブーム/新潟県
 小高い丘の上の駐車場で車を降りた人は、日傘やタオルを手に館内に向かった。体を突き刺すような日差しは、冬は豪雪地帯であることを忘れさせる。
 2016年6月11日午前10時すぎ、この丘の上に立つ田中角栄記念館(新潟県柏崎市西山町)の駐車場には車23台が止まっていた。県内のほか、島根や東京から来た車もあり、空前の角栄ブームを実感する。
 来館者のお目当ては、元首相が残した書約50点。遺墨展の来館者は「あんなに豪快だった人が、こんなに繊細で達筆とは驚いた」と口をそろえていた。



 書を愛し筆まめだった角栄は雅号を「越山」とした。最後に自署した額は、県議・星野伊佐夫(76)の新潟県長岡市の事務所にある。

ウソのない言葉
 1985年2月27日。星野は東京・目白の角栄私邸を訪ねた。
 角栄は応接間に飾っていた写真入りの額を自慢した。「5千円札(当時)の裏に印刷された富士山の写真だ。1万円札の絵は鈴木善幸(元首相)が持っているんだ」。星野が欲しがると、「よっしゃ」と額の裏に筆を走らせ、手渡した。
 その後、角栄は昼食にうな重を食べ、オールドパーの栄養ドリンク割りを飲んだ。20日前、竹下登(後に首相)が田中派内に勉強会を作り、ストレスを感じていたとされる。「いつもは水割りなのに……」。星野は違和感を覚えた。
 その日の夜10時ごろ、角栄の秘書・早坂茂三(故人)から「オヤジが脳梗塞(こうそく)で入院した」と電話があった。その後、角栄は右手が思うように動かせなくなり、筆を持つことがなかったという。
 63年、星野は24歳のとき角栄と出会った。話し方、話す内容に魅了された。他の政治家の後援会から、角栄の越山会に移った。
 77年のクリスマスイブ。長岡越山会の青年部長だった星野は、突然、目白邸に呼び出された。翌78年4月の県議補選を控え、星野は越山会が決めた立候補予定者の選挙準備に明け暮れていた。角栄は開口一番、「選挙に出てくれ。票はオレに任せろ」と言った。
 立候補予定者は別に決まっていたが、角栄の言葉に逆らえる者はいない。この一言で、星野は政界入りした。以後、11回連続当選は現職県議で最多となった。星野は「オヤジの言葉は何事も、過不足やウソ、美辞麗句がない。だから信頼できた」と角栄を評する。
 角栄は首相就任後、衆院選へ小選挙区制を導入しようとした。が、党内や世論に反発が起きると、あっさり考えを撤回した。星野は言う。「オヤジは気遣いの人。時にごり押しもするが、引くこともできた・・・

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