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朝日新聞社

漁師は死の灰を口に含んだ 米ビキニ水爆実験、知られざる被害の実態

初出:朝日新聞2016年5月22日〜6月10日
WEB新書発売:2016年12月1日
朝日新聞

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 米国が水爆実験を繰り返した太平洋マーシャル諸島。1954年にはビキニ環礁付近で第五福竜丸が被曝したが、周辺海域を航行していた漁船はほかにも多くあった。実験を知らず、降ってきた灰を雪だと思い、口に含んだ船員もいた。
 それから62年。かつての船員たちは、国が健康被害の調査を放置したなどとして、国家賠償を求めて高知地裁に訴えた。往時を振り返り、いま何を思うのか。その言葉に耳を傾けた。

◇第1章 俺は漁師が好きだったがよ
◇第2章 被曝、福竜丸だけだと思った
◇第3章 体にあてられたら「ガーガー」
◇第4章 俺だって、もう長くない
◇第5章 アメリカの奴、ひどい事する
◇第6章 岡は大変な事に成って居る
◇第7章 明日は魚を捨てに沖に向う
◇第8章 日記をつけるけん、覚えちゅう


◇第1章 俺は漁師が好きだったがよ


 16歳だった。
 乗っていた第七大丸は太平洋を航行していた。
 総トン数は157トン。少年が育った高知県室戸市ではまだ木造船が多く、鋼船は珍しかった。
 室戸船籍の第七大丸が神奈川県の久里浜港を出港したのは1954(昭和29)年2月13日。目的地はマグロの好漁場として知られるマーシャル諸島の周辺だ。
 少年の持ち場は炊事場。船長を含め二十数人分の食事を日に3度作る。操業中は夜食も加わった。
 炊事係は「カシキ」と呼ばれ、新米漁師の役割だった。ほぼ1人ですべてをこなさなければならない。第七大丸は2人交代制。年の近い漁師と日替わりで炊事場に入った。
 出航直後は積み込んだダイコンやニンジンがみそ汁の具になった。1週間も経つと野菜は底をつき、ご飯と魚だけになる。真水が必要なみそ汁は朝食だけ。ご飯はおわんに切り盛りで、おかわりはできなかった。おかずは、サメが食い散らした傷物のマグロを焼いたり、煮たりした。
 調味料も限られていた。しょうゆとみそはあったが、高価な砂糖はない。人工甘味料のサッカリンやズルチンが代用品だった・・・

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漁師は死の灰を口に含んだ 米ビキニ水爆実験、知られざる被害の実態
216円(税込)

米国が水爆実験を繰り返した太平洋マーシャル諸島。1954年にはビキニ環礁付近で第五福竜丸が被曝したが、周辺海域を航行していた漁船はほかにも多くあった。実験を知らず、降ってきた灰を雪だと思い、口に含んだ船員もいた。  それから62年。かつての船員たちは、国が健康被害の調査を放置したなどとして、国家賠償を求めて高知地裁に訴えた。往時を振り返り、いま何を思うのか。その言葉に耳を傾けた。[掲載]朝日新聞(2016年5月22日〜6月10日、10600字)

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