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朝日新聞社

シベリア抑留の記憶 凍ったときを溶かす

初出:朝日新聞2016年12月8日〜12月10日
WEB新書発売:2017年1月5日
朝日新聞

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 日ロ首脳会談が2016年12月15日、山口県長門市で開催された。両国の未来に向けた話し合いが進められたが、忘れてはならない過去もある。第2次世界大戦終結後、旧ソ連が旧満州、樺太、千島から軍人らをシベリアなどの収容所に連行し、強制労働に従事させた「シベリア抑留」。厚生労働省によると、抑留されたのは約57万5千人。これまでに約47万3千人は帰還したが、極寒の中での重労働や飢えに苦しみ、約5万5千人が亡くなった。苛烈(かれつ)なシベリアでの抑留生活を体験した人や、その妻、家族はその体験をどう受け止め、どう生きてきたのか。それぞれのシベリアの記憶をたどった。

◇第1章 寒・疲・飢・苦・死…絵筆に 香月泰男さん
◇第2章 「名もなき兵士」にさせぬ 村山常雄さん
◇第3章 父の眠る地に、非戦誓う碑 渡辺祥子さん


第1章 寒・疲・飢・苦・死…絵筆に 香月泰男さん

◎「一瞬一生」描いた戦争
 「一瞬一生」
 香月泰男美術館(長門市)の前には、そう刻まれた大きな石碑がある。
 「一瞬に一生をかけることもある。一生が一瞬に思える時があるだろう」
 それは、シベリア抑留を経験し、その体験を描くことに人生をかけて向き合った画家・香月泰男さん(1911〜74)の座右の銘だった。
 旧三隅村(現山口県長門市)に生まれた香月さんは、東京美術学校(現東京芸術大学)で油絵を学び、下関高等女学校で美術教師をしていた。43年、召集を受けて旧満州へ。そこで終戦を迎え、旧ソ連軍によりシベリアの収容所に連行された。
 極寒の大地で待ち受けていたのは終わりの見えない過酷な労働の日々だった。飢えにも苦しみ、多くの仲間が死んでいった。労働による疲労もあり、凍土に死者を埋めるための穴を掘ることさえ困難だった。墓に供えたコーリャンのおにぎりは翌朝にはなくなっていたという。帰ったら遺族に渡そうと香月さんは戦友の死に顔を描き続けたが、全て没収されてしまった。
 「あの寒さ、あの疲労、あの絶望。これだけはいくらことばを積み重ねても、体験しない人には決してわかってもらえないだろう」
 香月さんは著書「私のシベリヤ」(筑摩書房)の中で、抑留生活をそう振り返っている。
    ◇
 47年5月、家族の待つ故郷の三隅に戻った香月さんは、多くを語ろうとはしなかった。その代わり、絵筆を執り続けた。美術教師として教壇に立つ傍ら、家に帰ると毎晩遅くまで自らの体験と一人向き合い、それをカンバスに落とし込んだ。そんな香月さんを妻の婦美子さん(99)はそばで見守った。「『できるだけのことを後に残したい』という気持ちがあったんでしょう。自分の絵に自分の思いをぶつけていたんだと思います」
 帰国の翌年に描いた「埋葬」は、土中に葬られる戦友の姿を、赤みがかった暖色系の色を使って描いた異色の作品だ。「亡くなって埋められる時ぐらいは、温かくてきれいな色の着物を着せてあげたい」。香月さんがそう話していたことを婦美子さんは覚えている。それは、極寒の収容所で死んでいった戦友への香月さんなりの弔いだった。
 「できるだけ明るく描いてやりたい。苦しみから解放させてやりたいと思ったんじゃないか」。香月さんに師事した画家の坂倉秀典さん(85)はそう振り返る。「埋葬」を描いてから10年近く、香月さんはシベリアを描かなかった。・・・

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シベリア抑留の記憶 凍ったときを溶かす
216円(税込)

日ロ首脳会談が2016年12月15日、長門市で開催された。両国の未来に向けた話し合いが進められたが、忘れてはならない過去もある。第2次世界大戦終結後、旧ソ連が旧満州、樺太、千島から軍人らをシベリアなどの収容所に連行し、強制労働に従事させた「シベリア抑留」。厚生労働省によると、抑留されたのは約57万5千人。これまでに約47万3千人は帰還したが、極寒の中での重労働や飢えに苦しみ、約5万5千人が亡くなった。苛烈(かれつ)なシベリアでの抑留生活を体験した人や、その妻、家族はその体験をどう受け止め、どう生きてきたのか。それぞれのシベリアの記憶をたどった。[掲載]朝日新聞(2016年12月8日〜12月10日、4700字)

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