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医療・健康
朝日新聞社

はしか感染11年後に脳炎 野球少年の「異変」

初出:2016年10月24日〜10月28日、12月8日
WEB新書発売:2017年1月19日
朝日新聞

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 生後8カ月の時にはしかにかかった少年。幼稚園のころから英会話や野球を始め、小学生になるとさらにサッカーや絵画、アルトサックスにも取り組んでいた。はしかの発症から11年近くたった2008年秋、両親は「異変」を感じ始めた。野球の動作に切れがなくなり、2桁の割り算が解けなくなり……。「何が起きているのか」。かつてかかったはしかのウイルスが体の中に潜んでいて、何かのきっかけで脳に入り、炎症を起こす「亜急性硬化性全脳炎」。脳が萎縮して、やがて寝たきり状態になる難病と診断された――。

◇第1章 感染から11年後に「異変」
◇第2章 治療前、思い出の公園へ
◇第3章 患者会のキャンプで交流
◇第4章 「アハハ」と声、喜びの朝
◇[情報編] ワクチン接種で予防を
◇[読者編] はしかの後遺症、知って


第1章 感染から11年後に「異変」

 東京都練馬区の岸本洸亮(きしもとこうすけ)さん(19)は歩くことができず、話すこともできない。日中は福祉施設に通い、自宅では体を両側から支える特殊なソファの上でほとんど過ごす。この状態は11歳から続いている。
 きっかけは、1998年2月までさかのぼる。
 生後8カ月の洸亮さんは、高熱と全身に発疹が出た。近くの小児科ではしかと診断され、10日ほどで治った。幼稚園のころから英会話や野球を始め、小学生になるとさらにサッカーや絵画、アルトサックスにも取り組んでいた。
 はしかの発症から11年近くたった2008年の秋、両親は洸亮さんに「異変」を感じ始めた。
 小学5年の洸亮さんは少年野球大会に一塁手で出場していた。ベスト8まで勝ち進んだが、父の修三(しゅうぞう)さん(58)には洸亮さんの動作にいつもの切れがないように見えた。その後の練習試合では、得意の打撃で3三振。チームの投手からは、一塁への送球が早すぎるからゆっくり投げろ、と洸亮さんに文句を言われたと聞かされた。
 しばらくすると2桁の割り算が解けなくなり、泣きながら宿題の計算ドリルに向かっていた。母の裕子(ゆうこ)さんは学校に行った際、家庭科で針に糸を通すのに、逆に針を糸に近づけているのを見かけた。
 「何が起きているのか」
 病院へ連れて行こうとしていた11月初旬の早朝、両親は一緒に寝ていた洸亮さんの叫び声で起こされた。洸亮さんはふとんの上で全身をけいれんさせ、呼びかけにも反応しなかった。
 救急車で大学病院に運ばれ、意識は取り戻した。脳波やMRI画像を調べたが、原因はわからず帰宅した。様子のおかしさは続き、約2週間後に入院した。
 「なぜ僕がこんな目に遭わなければいけないの」。洸亮さんは涙を流した。
 髄液の検査で、はしかのウイルスに対する抗体の量が極めて多いことがわかった。かつてかかったはしかのウイルスが体の中に潜んでいて、何かのきっかけで脳に入り、炎症を起こす「亜急性硬化性全脳炎(SSPE)」と診断された。認知機能や運動機能が落ちていく病気だった・・・

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