文化・芸能
朝日新聞社

源氏物語千年紀 最古の小説に魅せられた13の人生の物語

2017年02月23日
(21500文字)
朝日新聞

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人類史上最古の長編小説の一つとされる「源氏物語」。その存在が文献上に表れてから、2008年はちょうど1000年の節目にあたり、「源氏物語千年紀」を記念した行事が多数催された。人間の本質を見つめた物語は、今もなお人々の心をとらえて離さない。そんな「源氏」に魅せられ、時には人生すらも変えられた人々の物語を13章にわたって綴ります(2008年の連載の電子書籍化。年齢、肩書などの事実関係は新聞掲載時のままとしました)。

◇第1章 抑留を耐えた、宇治十帖
◇第2章 よみがえれ、平安の恋歌
◇第3章 紫の君、素顔を見せて
◇第4章 小猫がたぐる運命の糸
◇第5章 命がけの筆、愛の煉獄
◇第6章 王朝の香り、あくなき探求
◇第7章 絵師の技、デジタルで読む
◇第8章 読み手の人生、織り込んで
◇第9章 写本に息づく古人の執念
◇第10章 これぞ傑作!翻訳の至福
◇第11章 反権力で読む王朝絵巻
◇第12章 モテ男、タイムスリップ
◇第13章 たずねよう、日本語の花


第1章 抑留を耐えた、宇治十帖

 シベリアの捕虜収容所で、寒暖計は零下43度まで下がった。極限状態のなか、国文学者藤村潔(ふじむらきよし)(86)の胸ポケットには、シラミよけの薬品と一緒にいつも『源氏物語』があった。
 『源氏』全54帖(じょう)は前半が主人公の光源氏(ひかるげんじ)の一代記だ。最後の10帖は出生の秘密をもつ子の薫(かおる)と孫の匂宮(におうのみや)に、3人の宇治の女君(おんなぎみ)を配した悲恋の物語で宇治十帖とよばれる。藤村は宇治十帖が好きだった。「まとまっていて何となく寂しいから」
 1943年、朝鮮の大学から学徒出陣。翌年、旧満州の軍隊から親に送金を頼んだ。「お札は、私の蔵書の中の岩波文庫にはさんでください」。そう指示したのが宇治十帖を収めた1冊だった。
 45年敗戦。シベリアの収容所を転々とする。「帰国できるのか。日本はどうなったのか」。飢えと寒さに苦しみ、不安でならない。『源氏』だけは手放さなかった。拾い読みすると、みやびな言葉に心がなごんだ。
 文庫本はソ連兵によく取り上げられた。たばこの巻紙になるから。「日本で読まれている、とても古い物語なんだ」。ロシア語で懸命にかけあって取り戻す。地面に男の姿を二つ、女の姿を三つ描いて、内容も説明した。ある日、1人の兵から質問される。「薫ほどの貴公子がなぜ恋人を次々に失うのか?」。藤村は答えられなかった。
    ◇
 50年春、念願の帰国。藤村はハバロフスクの収容所を出るとき、6年間もち歩いた文庫本を厳寒の地に残る友人に贈る。「慰めの言葉の代わりにいちばん大切なものを渡したくて」。友人は56年に帰国、会う機会もなく逝った。本のゆくえはわからないままだ。
 香川県で高校教師になった。シベリアでのソ連兵の質問が研究の原点となる。主著『源氏物語の構造』は宇治十帖の構想を精緻(せいち)に論じている。やがて札幌の藤女子大に移り、教え子に歌手中島(なかじま)みゆき(56)がいた。
 論文の校正を手伝ってくれた妻昭子(あきこ)が82年に逝った翌春、札幌の家の庭でダケカンバが芽吹いた。いまは高さ10メートル近い。妻に見立てて大切にしている。
 「軍隊では研究から引きはがされた喪失感を、収容所では国が滅びた喪失感を『源氏』が埋めてくれました。人生で最も危険な時期を私は宇治十帖にすがって生きた気がします・・・

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源氏物語千年紀 最古の小説に魅せられた13の人生の物語
216円(税込)

人類史上最古の長編小説の一つとされる「源氏物語」。その存在が文献上に表れてから、2008年はちょうど1000年の節目にあたり、「源氏物語千年紀」を記念した行事が多数催された。人間の本質を見つめた物語は、今もなお人々の心をとらえて離さない。そんな「源氏」に魅せられ、時には人生すらも変えられた人々の物語を13章にわたって綴ります(2008年の連載の電子書籍化。年齢、肩書などの事実関係は新聞掲載時のままとしました)。(2008年4月21日〜5月12日、21500字)

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