文化・芸能
朝日新聞社

有楽町で逢いますか? 都心に残った昭和の街

初出:朝日新聞2016年12月8日〜12月22日
WEB新書発売:2017年4月13日
朝日新聞

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 フランク永井の歌謡曲「有楽町で逢いましょう」がヒットしたのは昭和30年代。大企業の本社が並ぶ都心の一流オフィス街にも、巨大な繁華街・銀座にも近いのに、有楽町はどこか庶民的で、今でも「昭和」の面影と大人の色気が漂う街だ。レトロな空気が濃密に残る一方、新しい施設も次々と誕生し、若い層が集う。そんな独特の魅力をルポする。

◇第1章 演劇・映画スターに会いましょう
◇第2章 東京交通会館、シブい魅力健在
◇第3章 ガード下、響く電車の音・笑い声


第1章 演劇・映画スターに会いましょう

 そろいのジャケットを着た数十人の女性が劇場の敷地で歩道沿いに整列し、車道を見つめている。やがて列の手前に乗用車が停車。降車した宝塚歌劇団の女性スターに満面の笑みで静かに手を振り、そばに来るのを待ち、ファンレターを次々と手渡した。スターが建物内に歩き去ると解散。別のグループが再び整然と歩道沿いに並んだ。
 ブロンズの女性像が目をひく東京宝塚劇場の入り口付近が、公演前の「入り待ち」をする場所だ。公演後の「出待ち」では、整列したファンが劇場を縁取る。連日繰り返される、宝塚ならではの光景だ。
 「一般の方々に迷惑をかけないための不文律をしっかり守り、スターを待つ。宝塚ファンの文化は昔から変わりません」


 この劇場で東宝の新入社員時代を過ごした帝国劇場(帝劇)の阿部聖彦支配人(49)は話す。
 兵庫県にあった宝塚少女歌劇団の東京の拠点として開場したのは1934(昭和9)年。「東京に大劇場を作って、安く、面白く、家庭本位に、清い、朗らかな演劇をご覧に入れたい」。後に東宝となる東京宝塚劇場を創業した小林一三(いちぞう)氏(1873〜1957)が目指した「有楽町アミューズメント・センター」実現への第一歩だった・・・

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有楽町で逢いますか? 都心に残った昭和の街
216円(税込)

フランク永井の歌謡曲「有楽町で逢いましょう」がヒットしたのは昭和30年代。大企業の本社が並ぶ都心の一流オフィス街にも、巨大な繁華街・銀座にも近いのに、有楽町はどこか庶民的で、今でも「昭和」の面影と大人の色気が漂う街だ。レトロな空気が濃密に残る一方、新しい施設も次々と誕生し、若い層が集う。そんな独特の魅力をルポする。(2016年12月8日〜12月22日、5300字)

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