文化・芸能
朝日新聞社

流人をたどって 流れることで見えてくる人生の真実

初出:朝日新聞2016年12月13日〜27日
WEB新書発売:2017年5月18日
朝日新聞

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「流人」と書いて「るにん」「りゅうじん」と読む。流刑(るけい)に処せられた人や、さまざまな事情で放浪する人をいう。関ヶ原の戦いで敗れ、八丈島に流された戦国武将・宇喜多秀家、江戸を目指した輸送船が嵐に遭難、ロシアで長い漂流生活を送った船頭・大黒屋光太夫、宇喜多秀家と同じく関ヶ原後に流刑となり、大阪夏の陣で華々しく散った真田信繁(幸村)。流浪の果て、野垂れ死に同然で没した漂泊の俳諧師、井月(せいげつ)、極貧から見出され、ドスのきいたハスキーボイスが激動の時代と共鳴し、大ヒットを飛ばしたが、その後家族と離れ、孤独の中で自死した歌手・藤圭子(宇多田ヒカルの母)など、「流される」日々を送った人々は、どんな思いで人生を見つめたのだろうか。八丈島から大阪城、旭川、伊那谷を経て、再度八丈島に渡って考えたユニークなエッセイ(敬称略)。

◇第1章 「鳥も通わぬ」八丈島で半世紀
◇第2章 敗軍の将、心乱れず
◇第3章 美女も、仏も、焼酎も
◇第4章 活路を開いた「エト チョワ?」
◇第5章 故郷で見た、自らの供養碑
◇第6章 真田幸村、14年の雌伏
◇第7章 風狂に生き、風狂に死す
◇第8章 故郷失った者、一瞬の閃光
◇第9章 北の地霊が、解き放つ
◇第10章 来てみれば、ここは情け島


第1章 「鳥も通わぬ」八丈島で半世紀

 元首相でA級戦犯でもあった広田弘毅が外交官時代、オランダに左遷となった。
 《風車(かざぐるま)風が吹くまで昼寝かな》
 そのときの心境をそう詠んでいる。なるほど人事異動は組織に生きる者の宿命である。
 不本意な異動は「島流し」とも呼ばれるが、本当の島流しはもっとつらい。日本で流刑地が定められたのは奈良時代といわれ、京都からの距離によって三つに分けられた。
 近流(こんる)……越前、安芸など
 中流(ちゅうる)……信濃、伊予など
 遠流(おんる)……伊豆、安房、常陸、佐渡、隠岐、土佐など
 その後、時代の推移とともにいろいろな場所が流刑地となったが、徳川幕府になってからは江戸からの流刑地として伊豆の島々(現在は東京都)が選ばれた。そして18世紀後半には、遠方の新島(にいじま)、三宅(みやけ)、八丈(はちじょう)の3島だけを流刑地と定めたという。
 獄舎で島送りを待つ日々。流人研究の史料として名高い「八丈島流人銘々伝」(葛西重雄、吉田貫三著)によると、出帆日が決まると、江戸に親戚がある人に対しては、町奉行が通知をし、前日までなら届け物が許された。1人につき米20俵、麦5俵まで。刃物や書物、火道具のたぐいは許されなかった。
 春と秋の年2回、隅田川にかかる永代橋などから島送りの船が出た。だが現代のように島へ直行しない。
 浦賀番所で船を止め、「流人改め」を受けてから東京湾を出る。富士や箱根、伊豆半島の山々、伊豆大島などを目印にしながら、まず下田の湊(みなと)へ。そして新島、三宅島と南下するのである。天候が良く、波も穏やかな順風のときを待って、最終の流刑地である八丈島に向かったという・・・

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流人をたどって 流れることで見えてくる人生の真実
216円(税込)

「流人」と書いて「るにん」「りゅうじん」と読む。流刑(るけい)に処せられた人や、さまざまな事情で放浪する人をいう。関ヶ原の戦いで敗れ、八丈島に流された戦国武将・宇喜多秀家、江戸を目指した輸送船が嵐に遭難、ロシアで長い漂流生活を送った船頭・大黒屋光太夫、宇喜多秀家と同じく関ヶ原後に流刑となり、大阪夏の陣で華々しく散った真田信繁(幸村)。流浪の果て、野垂れ死に同然で没した漂泊の俳諧師、井月(せいげつ)、極貧から見出され、ドスのきいたハスキーボイスが激動の時代と共鳴し、大ヒットを飛ばしたが、その後家族と離れ、孤独の中で自死した歌手・藤圭子(宇多田ヒカルの母)など、「流される」日々を送った人々は、どんな思いで人生を見つめたのだろうか。八丈島から大阪城、旭川、伊那谷を経て、再度八丈島に渡って考えたユニークなエッセイ(敬称略)。(2016年12月13日〜27日、12900字)

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