文化・芸能
朝日新聞社

泉都熱海80年史 谷崎潤一郎から骨を埋めた新聞記者まで

初出:朝日新聞2017年2月26日〜3月2日
WEB新書発売:2017年6月15日
朝日新聞

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 2017年4月10日に熱海市が市制施行80周年を迎えた。全国に名だたる温泉地の熱海が市として歩み始めたのは、1937(昭和12)年のその日だった。前年には「2・26事件」が起き、軍靴と軍歌がない交ぜになって響き始めていた時代。熱海で刻まれた80年という時間の一端を、新聞や市史などの資料とともにたどった。

◇第1章 「奥座敷」に文化人疎開/谷崎潤一郎、軍の目逃れ「細雪」執筆/静岡県
◇第2章 網代小の「青い目の人形」/友好の願い、今に伝える
◇第3章 大火、市の4分の1壊滅/数年後に復興果たす
◇第4章 自然愛した新聞記者/梅園を観察・撮影25年
◇第5章 花開いた観光資源整備/宿泊者300万人台回復


第1章 「奥座敷」に文化人疎開/谷崎潤一郎、軍の目逃れ「細雪」執筆/静岡県


 1937年4月10日の土曜日。当日配られた朝日新聞「號(号)外」の1面にこんな大見出しが踊った。「泉都(せんと)熱海けふぞ『市位』を名乗る 海の秘景多賀を加へて堂々三萬(まん)の桃源郷出現」
 東京と熱海の「距離」を縮めた丹那トンネル開通から2年4カ月後のこと。2面には「『帝都(ていと)の奥座敷』熱海の景観」との見出しで、富士山を望む十国峠、伊豆山神社などの観光スポットが写真付きで紹介された。温泉別荘地として「東京の奥座敷」に位置付けられていたことがわかる。
 当時は、日本が戦争に突き進んでいた時代。誕生直後の熱海市も戦争と無縁ではなく、奥座敷は文化人たちの疎開先になった。


 戦後文学の名作「細雪(ささめゆき)」の執筆を戦時中に始めた谷崎潤一郎(1886〜1965)は「『細雪』回顧」の中で、「陸軍省報道部将校の忌諱(きき)に触れ(中略)昭和十七、十八、十九、の三年は熱海で書き、二十年になつて熱海も不安になり逃げ歩くやうになつてからは岡山県の勝山でやうやく五十枚くらゐ(い)、平和になつてからは京都と熱海で書いた」と記した。
 谷崎はNHKラジオ「教養特集 文壇よもやま話」(60年9月27日放送)で、戦中・戦後の熱海での日常を語っている。放送当時は「映画観(み)るほかないですもの! 熱海では」と谷崎は言い放ち、映画評論を熱心に書いていたことなど熱海の暮らしぶりをうかがわせる。
 谷崎と同時期に熱海に疎開してきたのが「万葉集」などの古典研究の泰斗、佐佐木信綱(1872〜1963)だ。44年12月に同市西山に転居した。
 孫の歌人、佐佐木幸綱さん(78)によると、肺炎を患った信綱は湯治を目的に熱海に別荘を持っていた知人を頼り、戦後にその別荘を購入したという。「佐佐木信綱全歌集」(ながらみ書房)には「病気静養のためと東京空襲が激しくなってきたため」とある・・・

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泉都熱海80年史 谷崎潤一郎から骨を埋めた新聞記者まで
216円(税込)

2017年4月10日に熱海市が市制施行80周年を迎えた。全国に名だたる温泉地の熱海が市として歩み始めたのは、1937(昭和12)年のその日だった。前年には「2・26事件」が起き、軍靴と軍歌がない交ぜになって響き始めていた時代。熱海で刻まれた80年という時間の一端を、新聞や市史などの資料とともにたどった。(2017年2月26日〜3月2日、5300字)

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