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朝日新聞社

昭和が薫る世田谷線 おしゃれな街のレトロな電車

初出:朝日新聞2017年6月29日〜7月11日
WEB新書発売:2017年8月10日
朝日新聞

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 東京都世田谷区の三軒茶屋と下高井戸を結ぶ東急世田谷線。沿線は「おしゃれな街」「住みたい街」などと言われる人気タウンだが、電車はなんともレトロで、良くも悪くも「昭和」の風情が漂っている。心から江戸・東京を愛する人には、このギャップの魅力が分かる。電車と沿線をリポートする。

◇第1章 三軒茶屋/「玉電」の面影、薫る昭和
◇第2章 西太子堂/ぷらっと会員制試飲
◇第3章 若林/歩行者と一緒に信号待ち
◇第4章 松陰神社前/「おしゃれな街」仕掛け人
◇第5章 世田谷/玉電グッズ売り上げ上々
◇第6章 上町/代官の職、切腹も覚悟
◇第7章 宮の坂/神社に「コロッセオ」?
◇第8章 山下/若者が駅横「農業革命」
◇第9章 松原/お囃子、新しい伝統に
◇第10章 下高井戸/昭和の匂い漂う商店街


第1章 三軒茶屋/「玉電」の面影、薫る昭和

 路地が入り組む通称・三角地帯に代表される昭和の匂いと、小ぎれいな飲食店。東京都世田谷区の三軒茶屋は新旧が混在する、独特の雰囲気の街だ。
 「芸能人が出没する」と言われ、「住みたい街」の上位にランクインする「三茶(さんちゃ)」のランドマークは、1996年に完成したキャロットタワー。オフィスや劇場が入る、高さ124メートルの赤茶色のビルの1階に東急世田谷線の駅がある。ホームの壁や床はれんが造りで、屋根は欧州の路面電車駅をイメージしたアーチ状。ここから、2両編成の電車が住宅街に向けて走り出す。
    ◇
 「世田谷線じゃなくて『玉電(たまでん)』と呼んだほうがしっくりくるね」
 大塚勝利さん(74)は1962(昭和37)年、18歳で三軒茶屋のそば店に入り、27歳で独立するまで住み込みで働いた。周辺は、出前で隅々まで走った、青春時代の思い出の地だ。
 玉電とは、現在の玉川通り(国道246号)を走っていた路面電車の「玉川電気鉄道」のこと。1907(明治40)年に開業し、25年には三軒茶屋と下高井戸を結ぶ支線も開通した。

 三軒茶屋は、玉電が分岐する要衝で、交差点にはポイント切り替えの操縦室が入る塔が立っていた。出前でよく訪れた大塚さんは「役得」で中にも入った。玉電のレールに自転車のタイヤが挟まってバランスを崩し、そばをぶちまけてしまったのも、今となっては懐かしい思い出。「人が多い場所だから、かっこ悪くてね。操縦室のおじさんに助けてもらったよ」と笑う。
 しかし、車社会の到来で玉電は「ジャマ電」になってしまう。地下を走る新玉川線(現・田園都市線)の建設が決まって本線は69年に廃止され、下高井戸への支線だけが、世田谷線と名前を変えて残った。路面電車が、東京から次々と消えた時期だ。三軒茶屋の街も、64年の東京五輪を境に姿を変えた。道幅は広がり、広かった空は首都高速で隠れてしまった。
 それでも、玉電の面影は残った。三軒茶屋生まれの会社員、三瓶嶺良(さんぺいれいら)さん(33)は「子どものころは車両に冷房がなく、床は木。沿線は畑も多くて、今よりのどかでした」と振り返る。
 当時の三軒茶屋の駅は、今より約150メートルほど渋谷寄りだった。「電車の屋根が見える近くのレストランに、親にせがんで一日中いました」という三瓶さんは中学3年だった98年、ファンサイト「がんばれぼくらの世田谷線」を開設した。「よそ行きではなく、サンダルで乗れる」と魅力を語る・・・

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昭和が薫る世田谷線 おしゃれな街のレトロな電車
216円(税込)

東京都世田谷区の三軒茶屋と下高井戸を結ぶ東急世田谷線。沿線は「おしゃれな街」「住みたい街」などと言われる人気タウンだが、電車はなんともレトロで、良くも悪くも「昭和」の風情が漂っている。心から江戸・東京を愛する人には、このギャップの魅力が分かる。電車と沿線をリポートする。(2017年6月29日〜7月11日、6100字)

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