政治・国際
朝日新聞社

天皇陛下が硫黄島を訪れた理由 平和への思い・宮内庁には慎重論

初出:朝日新聞2017年8月9日〜11日
WEB新書発売:2017年9月14日
朝日新聞

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 パラオやサイパン、硫黄島など戦争の激戦地をめぐる天皇陛下の慰霊の旅が続いている。昭和天皇と違って今の天皇が負の感情を持たれることはあまりないが、かつて天皇制の名の下で死んでいった人たちも多く、「もっと早く昭和天皇が来るべきだった」などの声はある。硫黄島(東京都)は戦争の激戦地で、きわめて多数の犠牲者が出たが、天皇が慰霊の旅に出るまでは意外に知られていなかったかもしれない。しかし、この硫黄島訪問、宮内庁には慎重論が少なくなかった。

◇第1章 「慰霊遅い」元兵士の思い
◇第2章 疎開先で読んだ昭和天皇の手紙
◇第3章 慰霊の歩み、硫黄島から
◇第4章 沖縄訪問、両陛下の信念


第1章 「慰霊遅い」元兵士の思い

 「遅すぎます」。2015年4月9日。日本から約3千キロ離れた南太平洋のパラオ・ペリリュー島で、元日本兵の倉田洋二さん(90)は声を振り絞った。目の前で、天皇、皇后両陛下が慰霊碑にこうべを垂れるのを見た直後だった。
 紺碧(こんぺき)の海と白い砂浜。ダイビング客でにぎわうこの島はかつて、太平洋戦争の激戦地となり、日米双方で1万人超の犠牲者が出た。
 倉田さんはペリリュー島に近いアンガウル島の戦いに17歳で参戦、砲撃で左半身を負傷した。左ひじから先は今も直角に曲がったままだ。仲間を慰霊するため、退職後、現地へ移り住んでいた。
 今の両陛下に負の感情はなく、訪問に感謝している。だが、「天皇陛下万歳と言って約1200人の仲間たちが死んでいった。本当はもっと早く、昭和天皇が来るべきだった」。両陛下の慰霊を見届けても、そんな思いを拭えないでいる。
 陛下が高齢を押して慰霊の旅を続けるのは、こうした複雑な思いを抱く元兵士や遺族が今なおいるから、との見方がある。
 72年前、陛下は疎開先の栃木・日光で終戦を迎えた。その際、昭和天皇から「涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである」と敗戦の経緯を説明する手紙を受け取ったという。その後、戦争を経験した最後の天皇、そして、国民の象徴として、慰霊の旅を続けてきた。その姿を見てきた学友の一人は「昭和天皇と陛下との間に、(戦争と向き合う)引き継ぎのようなものがあったのではないか」と推し量る。
 「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません・・・

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天皇陛下が硫黄島を訪れた理由 平和への思い・宮内庁には慎重論
216円(税込)

パラオやサイパン、硫黄島など戦争の激戦地をめぐる天皇陛下の慰霊の旅が続いている。昭和天皇と違って今の天皇が負の感情を持たれることはあまりないが、かつて天皇制の名の下で死んでいった人たちも多く、「もっと早く昭和天皇が来るべきだった」などの声はある。硫黄島(東京都)は戦争の激戦地で、きわめて多数の犠牲者が出たが、天皇が慰霊の旅に出るまでは意外に知られていなかったかもしれない。しかし、この硫黄島訪問、宮内庁には慎重論が少なくなかった。(2017年8月9日〜11日、6000字)

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