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朝日新聞社

UFOにあいたかった 三島由紀夫から吉田類まで

初出:朝日新聞2017年10月3日〜18日
WEB新書発売:2017年11月2日
朝日新聞

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作家の三島由紀夫は、1955(昭和30)年7月に結成された「日本空飛ぶ円盤研究会」のメンバーだった。三島は「円盤が現れるかもしれない」という情報が入ると、自宅の屋上に上り、双眼鏡を手に空を観測。57年6月、日比谷の日活国際会館屋上で行われた「第3回国際円盤観測会」にも参加した――。1970年代の日本を席巻したUFOブーム。テレビや新聞で、連日のようにUFO発見談が報じられたあの時期、不可思議な存在へと惹かれた人々は当時何を思い、今は何を考えているのか。UFO発見談が語り継がれる土地を訪ねながら考えました。

◇第1章 核の脅威を考えた三島由紀夫
◇第2章 理解されない「高遠なる趣味」
◇第3章 空飛ぶ円盤、光るわけは
◇第4章 茶色い顔で「キュルキュル」と
◇第5章 中学生が捕まえた小型物体
◇第6章 天の災い?漂着の「うつろ舟」
◇第7章 言葉が通じない謎の美女
◇第8章 「ロズウェル駅」の由来は
◇第9章 あの酒場詩人も……
◇第10章 地球が平和だからこそ


第1章 核の脅威を考えた三島由紀夫

 英語で「Unidentified Flying Object」と書く。頭文字を並べると「UFO」。「未確認飛行物体」である。
 宇宙人の乗り物と誤解されては困る。空に見える「正体不明の何物か」。ここでは「空飛ぶ円盤」としておく。たしかに自然現象や見間違えもあるだろう。だが作家の三島由紀夫は表明していた。
 「空飛ぶ円盤の実在か否かのむずかしい議論よりも、現代生活の一つの詩として理解します」(「宇宙機」13号)
 1955(昭和30)年7月に結成された「日本空飛ぶ円盤研究会」(事務局・東京都品川区)のメンバーだった。名簿の職業欄は「文士」、会員番号は「12」。2002年まで活動を続けたこの会は、作家の星新一や「日本の宇宙開発の父」とよばれた糸川英夫も加わり、一時は1千人の会員を擁したともいわれる。前出の「宇宙機」は会誌だ。
 三島は「円盤が現れるかもしれない」という情報が入ると、自宅の屋上に上り、双眼鏡を手に空を観測。57年6月、日比谷の日活国際会館屋上で行われた「第3回国際円盤観測会」にも参加した。

 翌58年、米国から帰国。夕刊紙「内外タイムス」の取材に答えた。「アメリカでは円盤を信じないなんてのは相手にされないくらい、一般の関心も研究も盛んですよ。ラジオでも午前1時の深夜放送に円盤の時間があるからね」
 みずからの人生と肉体をもって思想を現実化させようとした三島。およそ純文学の世界になじまないように思われる空飛ぶ円盤に本格的な興味を抱いたのは、フランスの新聞記者A・ミシェルが書いた「空飛ぶ円盤は実在する」(56年、邦訳)を読んでから。だが宇宙に関する「ファンタスティックな興味」はすでに少年時代、新感覚派の稲垣足穂(たるほ)の小説によって養われていた、という・・・

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UFOにあいたかった 三島由紀夫から吉田類まで
216円(税込)

作家の三島由紀夫は、1955(昭和30)年7月に結成された「日本空飛ぶ円盤研究会」のメンバーだった。三島は「円盤が現れるかもしれない」という情報が入ると、自宅の屋上に上り、双眼鏡を手に空を観測。57年6月、日比谷の日活国際会館屋上で行われた「第3回国際円盤観測会」にも参加した――。1970年代の日本を席巻したUFOブーム。テレビや新聞で、連日のようにUFO発見談が報じられたあの時期、不可思議な存在へと惹かれた人々は当時何を思い、今は何を考えているのか。UFO発見談が語り継がれる土地を訪ねながら考えました。(2017年10月3日〜18日、12700字)

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