民主主義の本場である英国は、一方で王室が大きな存在感を持っている国でもある。これがどうも分かりにくい。政治的な権力と権威を分け、独裁を防ぐ一種の「知恵」なのだろうか。だとしたら、戦後の日本の象徴天皇制も同様の役割を果たしているのではないか。平成に入ってからの天皇と政治の関係を見た。100年後には「権威と権力の分離」などと一言で言われそうなことが、現実には微妙な緊張感・距離感の連続であることが分かる。
◇第1章 訪中、陛下「よかった」
◇第2章 「訪中は政治利用」激しい反対論
◇第3章 陛下「ルールは守らなければ」
◇第4章 陛下の「おことば」、権威なのか
◇第5章 左派・右派、ねじれる天皇観
■実現に曲折、徹した親善
「中国訪問はよかった」
皇居・御所で開かれた数年前の食事会の席上。天皇陛下は1992年の中国訪問を振り返り、宮内庁関係者にそう明かした。
天皇陛下が皇后さまと中国を訪れた92年は、日本と中国が国交正常化20年を迎えた節目。歴代天皇で初めてとなる訪中の実現には、紆余(うよ)曲折があった。
日本政府には、天皇訪中で昭和から引きずる歴史問題に区切りをつけたい思惑があった。「天皇訪中は最強の外交カード」(外務省当局者)と捉える向きもあった。だが「天皇を政治利用すべきではない」という意見のほか、政府・自民党内にも、戦争責任や賠償問題の再燃を危惧する立場からの慎重論は根強く、調整に時間がかかった。
一方、中国には多くの犠牲者を出した89年の天安門事件で国際社会から孤立した状況を打破したい思惑があり、繰り返し天皇訪中を求めた。当時の中国外相・銭其琛(チエンチーチェン)氏は回顧録で、天皇訪中を「対中制裁を打破するうえで積極的な作用を発揮した」と振り返った。
だが、陛下が「よかった」と語ったのはこうした政治的文脈とは一線を画し、「自らの訪問で少しでも友好関係に前進があればというお考えのようだった」と発言を直接聞いた宮内庁関係者は言う。表情や話し方から、親善の意義や手応えを得たのだと感じ取ったという・・・