政治・国際
朝日新聞社

徳島なまりのフィリピン花嫁 これが今のアジアだ

初出:朝日新聞2017年10月19日〜11月2日
WEB新書発売:2017年11月30日
朝日新聞

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 1980年代頃からだろうか。地方の農村部などにアジア諸国から女性が嫁いで来る例が目立つようになった。国としては豊かだが跡継ぎ不足に悩む日本の農村を象徴している……都市部ではやや冷ややかな視線も少なくなかった。しかし、あれからかなりの年月がたつ。80年代後半。秘境と言われる徳島県の山村にフィリピンから嫁いで来た花嫁たちのその後を追った。当時、「カネで花嫁まで輸入するのか」といった批判もあった。一方で人口減というその後の日本の問題を先取りしていた面もある。いいとか悪いとかの問題を越えて、これが今のアジアの姿なのかも知れない。

◇第1章 ドリーさんは覚えていた
◇第2章 沈黙から「言いたい放題」へ
◇第3章 名古屋で商才が目覚めた
◇第4章 別居・同居・離婚、いま友だち
◇第5章 前村長からの1通の手紙
◇第6章 日本で…、途絶えた連絡
◇第7章 母は突然、姿を消した
◇第8章 山形の先進地はいま
◇第9章 ルソン島北部の山あいの町で
◇第10章 子どもたちの、それから


第1章 ドリーさんは覚えていた

 日本三大秘境の一つに数えられる徳島県三好市東祖谷(ひがしいや)。つづら折りの急な坂道を車でのぼるうちに、だんだん不安が募ってきた。
 こんなに寂しい山道だっただろうか。この先にまだ家はあっただろうか。
 フィリピンから6人の若い女性が祖谷の里にやってきたのは、1987年9月のことだった。ルソン島北部の町で、東祖谷から訪れた男性たちとお見合いをし、合同結婚式を挙げて来日した。当時、「フィリピン花嫁」と呼ばれた彼女たち。2年生記者だった私は、右も左もわからないまま取材に走り、この山道も何度か通ったはずだ。
 あれから30年。遠い記憶よりはるかに道幅は狭く、自然は荒々しく、人の気配が感じられない。平家の落人伝説が残るこの山深い地で、みんな幸せに暮らしているのだろうか。果たして、6人全員を探し出せるのか。
 ようやく人影を見つけ、車を止めた。夫の方の名前を伝えて、「家を探しています」と尋ねた。だが、その男性は首をかしげている。私は焦りながら「奥さんはドロレスさんというフィリピンからの人で……」と説明を始めた。すると突然、「あー、ドリーさんね。ついてきい」。自ら車で先導してくれた。
 ふっと息をついた。彼女はこの東祖谷にいる。ご近所から愛称で呼ばれ、夫よりも知られた存在になっている。
 四国の高峰を一望する高台の一軒家。奥から、ややふっくらとした女性が出てきた。
 「うわ、久しぶりですね」
 梶本ドロレスさんは、私を覚えていてくれた。
 結婚して来日したとき、21歳。当時は、さらに山手の夫の実家で暮らしていた。まだ秋なのに、「サムイ」という覚えたての単語を繰り返すばかりだった。
 いま、51歳。「そうじゃ」「ほなけん」と徳島のなまりを交えながら、不自由なく日本語を操る・・・

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徳島なまりのフィリピン花嫁 これが今のアジアだ
216円(税込)

1980年代頃からだろうか。地方の農村部などにアジア諸国から女性が嫁いで来る例が目立つようになった。国としては豊かだが跡継ぎ不足に悩む日本の農村を象徴している……都市部ではやや冷ややかな視線も少なくなかった。しかし、あれからかなりの年月がたつ。80年代後半。秘境と言われる徳島県の山村にフィリピンから嫁いで来た花嫁たちのその後を追った。当時、「カネで花嫁まで輸入するのか」といった批判もあった。一方で人口減というその後の日本の問題を先取りしていた面もある。いいとか悪いとかの問題を越えて、これが今のアジアの姿なのかも知れない。(2017年10月19日〜11月2日、12600字)

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