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文化・芸能
朝日新聞社

忠臣蔵が現代人に愛される怪 復讐・あだ討ちの話だろう?

初出:2017年12月5日〜11日
WEB新書発売:2018年1月11日
朝日新聞

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 江戸時代の元禄年間。赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城内で吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけ、切腹などの処分を受けた。その後、浅野の家臣の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)らが吉良邸に討ち入った。「赤穂事件」と呼ばれる史実だが、フィクション化された「忠臣蔵」として有名だ。しかし、よく考えてみると、これは美談なのか? 単なる復讐の話ではないのか? 封建的な主従関係を美化する必要があるのか? 前近代的な価値観を安易に賛美してはならないが、同時に、なぜ忠臣蔵の話が現代人の心をつかみ続けるのか、思いをはせてみたい。

◇第1章 「吉良さん」で全国に通じる
◇第2章 収支は7両のマイナス
◇第3章 家族を思い「うろんなり」
◇第4章 時間かけ過ぎ、「葉隠」は批判
◇第5章 14日は学校がお休みだ


第1章 「吉良さん」で全国に通じる

 吉良上野介(きらこうずけのすけ)から話を始めよう。強欲にして傲慢(ごうまん)、好色。忠臣蔵の世界では、もっぱら悪役として描かれる。でも、地元では「吉良さん」と慕われているという。その落差が気になっていた。
 1702(元禄15)年12月、上野介は自邸で寝込みを襲われ、殺害された。赤穂浪士による討ち入りである。46人の浪士は後に切腹した。
 発端は前年の3月。江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が上野介に斬りつけた。理由はわかっていない。内匠頭は即日切腹、浅野家は取り潰しになる。一方の上野介は「お構いなし」。この幕府の処分に対して、浪士が「片落ち」と反発した。
 一連の出来事は「赤穂事件」と呼ばれる。一般には「忠臣蔵」の方が通りはいい。事件に材をとった「仮名手本忠臣蔵」に由来するのだが、小説や映画、テレビなど次々と新しい「忠臣蔵」が世に出るたびに、上野介は悪役イメージを増幅させてきた。
 三河湾に面した愛知県西尾市の華蔵寺(けぞうじ)を訪ねた。墓所には吉良家6代の墓が並ぶ。家臣供養塔横の石板が目を引いた。討ち入りで死んだ26人の名前と、江戸時代の川柳集「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」の一句が彫られている。
 〈忠死でも吉良の家来の名は知れず〉
 高家職の吉良家は幕府の儀式や典礼を仕切り、朝廷との間を取り持った。西尾市が4年前に刊行した「吉良家日記」からは生真面目な仕事ぶりが読み取れる・・・

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