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政治・国際
朝日新聞社

満州の月と星〔1〕 五族協和を夢見た花嫁が体験した満州国の現実

初出:2016年8月2日〜2017年4月25日
WEB新書発売:2018年3月15日
朝日新聞

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 「今も目を閉じれば、旧満州(現中国東北部)での出来事が浮かんできます。とても人とは思えない姿で逃げてきた避難民の群れ。列車から投げ捨てられる病人。母親による子殺し……。私が生き残ったのは、このような過ちを二度と繰り返させないためだと思っています」。「五族協和」の理想を信じて山形から海を渡った花嫁が、「王道楽土」で見た現実は? 終戦後、ソ連軍、八路(中国共産党)軍、中央(中華民国)軍が次々と押し寄せ、無数の人々が無残に命を落とす中、再び祖国の土を踏むまでに経験したことから見えた、戦争の、人間の本質とは? 太平洋戦争開戦の直前から、敗戦の1年後までの5年間、動乱の満州を生き抜き、帰国後も残留孤児支援や戦争体験を語り継ぐ運動に取り組んだ故三田照子さん(取材後の2017年4月死去。享年98歳)に、筆舌に尽くしがたい体験と、平和への思いを語っていただいた、ロングインタビューの前編です(約2万6000字)。

◇第1章 体験を語るため、私は生き残った
◇第2章 結婚決意、理想抱き渡満
◇第3第 裕福な家の家庭教師に
◇第4章 風習の違い、驚きの日々
◇第5章 日本語学校開校、生徒3人
◇第6章 「本当の日本」を教える
◇第7章 「指導民族」という蛮行
◇第8章 苦しい戦況、婦人会拡大
◇第9章 落ち着かない防空演習
◇第10章 山中に避難し、ゲリラ戦
◇第11章 武器・食料なく死を覚悟
◇第12章 警察・軍に捨てられた町
◇第13章 協和会解散、日本人会つくる
◇第14章 町の雰囲気、すっかり変わった
◇第15章 ソ連兵、家に押し入り略奪
◇第16章 野蛮な兵隊に見え、怖かった
◇第17章 暴動激しく、命の危険感じる
◇第18章 教会に避難できず、小学校に
◇第19章 避難民でごった返し
◇第20章 日々の食事の心配
◇第21章 避難民の世話で戻らない夫
◇第22章 校庭に掘られた穴
◇第23章 食料ないまま6畳一間に
◇第24章 思いやる心、子に教わる
◇第25章 出産直後の義妹の死を聞く
◇第26章 妹の義兄家族が逃げてきた
◇第27章 義兄は殴られ、全て奪われた
◇第28章 暖房ない部屋の片隅で出産
◇第29章 平和への希望を名前に
◇第30章 7家族29人、玄関も部屋に
◇第31章 子どもの遊びは暴動ごっこ
◇第32章 最も美しいのは人情
◇第33章 ひるまず、たばこ売り
◇第34章 八路軍、立ち退きを命令


第1章 体験を語るため、私は生き残った

 今も目を閉じれば、旧満州(現中国東北部)での出来事が浮かんできます。とても人とは思えない姿で逃げてきた避難民の群れ。列車から投げ捨てられる病人。母親による子殺し……。私が生き残ったのは、このような過ちを二度と繰り返させないためだと思っています。戦後70年は騒がれたけれど、71年を忘れ去られては困ります。体験したことを伝え続けるのが私の責任だと思っています。

 私が暮らしたのは吉林という都市です。日本人が3万人ほど住んでいました。夫はそこで国民高等学校の事務長をしていました。日本で知り合った花巻市の人です。その人と結婚するため私が満州に渡りました。
 実家の山形県から新潟市まで列車に乗り、新潟港から大きな船に乗りました。太平洋戦争が始まる約4カ月前の1941年8月15日です。23歳でした。

 朝鮮半島に着いて満州行きの列車に乗りました。車窓に黒いカーテンがかかっていて景色は見えないんです。何かを隠すためでしょうが、それが何かは分かりません。たぶん軍事的な意味があったんでしょうね。
 列車が朝鮮半島から満州に入ったあたりで、警察官か憲兵か分かりませんけれど、制服を着た3、4人が荒々しく乗り込んできたんです。そしていきなり持ち物検査を始めました。
 高飛車な態度で「トランクを開けろ」「風呂敷をほどけ」と命令しました。朝鮮人に対しては特にひどかったの。そのうち、朝鮮服を着た2人の女性が列車から降ろされました。理由は分かりません。
 私が満州に渡ろうと決めたとき、内地では「五族協和」という言葉が盛んに使われていました。満州や日本、朝鮮などの五つの民族が仲良く暮らせる良い国を作りましょうというスローガンです。それが、大陸に渡った初日から全然違う現実を見せられたわけです。
 それからは、毎日のように威張る日本人の姿を見ました。ちょっとでも気に食わなければ目をそらしたくなるようなひどいこともしていました。理由なんてないんです。列車から降ろされた朝鮮人もそんなことだったんじゃないですかね。
 私は、「五族協和」を実現させようと思って満州に渡ったものですから、そういう場面に出会うたびに腹を立て、恥ずかしく、自分の心の中が壊されていくような気持ちになりました。小さい声でごめんなさいと言って歩いていたんです。そしてより強く、民族が違っても絶対仲良くしていこうと思ったのです・・・

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