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医療・健康
朝日新聞出版

がん難民 働きながら治す、病気と向き合う工夫

初出:2015年9月7日号
WEB新書発売:2015年9月10日
AERA

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 がんはもはや「不治の病」ではない。しかし、仕事をしながら治療を続けるのはまだまだ簡単ではない。職場にもよるが、休職制度や収入などの問題があるからだ。一方、よりよい治療を求めて医師や病院を渡り歩く「がん難民」が生まれている。医師が忙し過ぎて患者とのコミュニケーションが希薄になり、患者側には医師への不信感が生まれる、とも言われている。がんとどう向き合うべきか。それはもはや医療というより社会の問題だ。

◇働きながら、がんを治す/『キャンサーギフト』を得て変わる仕事観と働き方
◇患者よ、「がん難民」に陥るなかれ/専門医3人に、がん体験者が聞く


働きながら、がんを治す/『キャンサーギフト』を得て変わる仕事観と働き方

 病室の窓から、会社のビルが見える。いつか戻れる日は来るのか。見舞いに来てくれる同僚の存在も、遠く感じた。
 日本テレビ記者の鈴木美穂さん(31)は2008年5月、シャワーを浴びている時に右胸に違和感を覚えた。当時はまだ24歳。「まさか」と思ったが、悪い予感は的中する。
 大学病院で精密検査を受けた結果、右胸に二つのがんが見つかった。腫瘍の大きさは合わせて5センチほど。医師からは、右乳房を全摘出する必要があると説明された。入社3年目。子どもの頃から憧れていた記者になり、これからという時だった。
 「働いて結婚して、出産して。女性としてごく普通の将来が閉ざされる絶望感。そう遠くないかもしれない『死』と向き合う恐怖に、頭の中が真っ白でした」

◎がんを忘れてほしい
 会社を休職し、治療に専念した。抗がん剤の副作用で髪が抜け、強い吐き気や倦怠感に襲われた。全てが嫌で泣きじゃくり、ベランダから飛び降りそうになったこともある。そんな時、心の支えになったのは仕事への情熱だった。家族や同僚に頼んで、闘病中の自分を撮影した。記録している最中は、記者である自分を見失わずにいられた。
 「どうしても記者に戻りたい」
 見舞いに来る同僚や上司に何度も訴えた。自宅療養中、外出はつらかったが、電車に乗り、会社まで行く練習もした。
 その甲斐もあって09年1月、元の社会部記者に復帰した。失われた8カ月間を取り戻すため必死だった。取材や張り込みに、率先して出掛けた。
 「私ががんだったことをみんなに忘れてほしかった。一切支障がないふうに振る舞っていました」
 14年には、希望していた厚生労働省の担当になった・・・

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