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朝日新聞出版

満鉄王国の夢 営業開始から110年目の記憶

初出:AERA2017年9月18日号
WEB新書発売:2017年9月28日
AERA

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南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」。1905年、日露戦争で獲得した権益運営のため勅令によって設立され、日本の植民地運営の中枢を担った満鉄は、最盛期に1万キロを超える鉄道を保有し、従業員数は39万人を数え、学校、病院、港湾なども経営し、その威容は「満鉄王国」とも称された。終戦後、満鉄は消滅、満鉄のシンボル、超特急「あじあ号」が広大な原野を走り抜けた日々も遠く、今では多くの関係者も鬼籍に入っている。戦後72年、満鉄とは何だったのか。関係者の証言を集めた。

◇第1章 夢を抱いて「満鉄王国」へ/営業開始から110年目の記憶
◇第2章 社員捨てられ帰国まで苦労、自殺した甘粕さんは卑怯/満映を支えた岸富美子さん(97)が語る
◇第3章 東海道新幹線1週間分の客、満鉄の「顔」の意外な真実/満鉄が誇った超特急「あじあ号」
◇第4章 国策で捨てられた満鉄/戦後日本が学ぶべき満鉄の教訓


第1章 夢を抱いて「満鉄王国」へ/営業開始から110年目の記憶

 かつて日本が傀儡国家としてつくった満州国(中国東北部)。遼東半島南部の関東州・大連の日赤病院で生まれた天野博之さん(81)は戦後長く、父親が満鉄(南満州鉄道株式会社)幹部だったことは公にしてこなかった。
 「満鉄というのは、日本帝国主義の先兵と思っていましたから」
 父親は一高から東京帝国大学法学部を出て、1934年から満鉄本社の総裁室に勤務した。以後、天野さんは父親の異動にともない、大連、奉天(現・瀋陽)、新京(現・長春)、撫順、吉林と移り住んだ。満州では社宅に住んだ。
 「社宅は水洗便所で電気、ガス、水道などが完備していました。冬になるとスチーム暖房。それを使って、風呂には一年中お湯も出ました。戦前の日本では考えられない文化的生活でした」
 敗戦から2年後の47年7月、11歳の天野さんは家族7人で日本に引き揚げてきた。しかし当時、満鉄は「植民地支配の手先」という文脈で語られることも多く、話すことがはばかられる時代の空気があった。父親も、満鉄や満州について多くを語らなかったという。天野さんは大学を卒業すると、小学館に就職。95年に定年退職すると、父親の死を受けて満鉄の旧社員や家族らでつくる「満鉄会」の会員となった。満鉄会解散時(2016年3月)、専務理事として尽力した天野さんは言う。
 「農業のほかに見るべき産業を持たなかった満州の地に、鉄道をはじめ各種産業の基礎を築いたことは無視できません。そうした考えは、最近の中国でも増えています・・・

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満鉄王国の夢 営業開始から110年目の記憶
216円(税込)

南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」。1905年、日露戦争で獲得した権益運営のため勅令によって設立され、日本の植民地運営の中枢を担った満鉄は、最盛期に1万キロを超える鉄道を保有し、従業員数は39万人を数え、学校、病院、港湾なども経営し、その威容は「満鉄王国」とも称された。終戦後、満鉄は消滅、満鉄のシンボル、超特急「あじあ号」が広大な原野を走り抜けた日々も遠く、今では多くの関係者も鬼籍に入っている。戦後72年、満鉄とは何だったのか。関係者の証言を集めた。(2017年9月18日号、5800字)

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