社会・メディア
朝日新聞出版

バンダイ御曹司がハマった「愛欲」と「金欲」

初出:週刊朝日2011年12月9日号
WEB新書発売:2011年12月9日
週刊朝日

このエントリーをはてなブックマークに追加

バンダイ御曹司がハマった「愛欲」と「金欲」


 世間知らずのおバカな御曹司といえば、会社のカネをカジノですった大王製紙の前会長が筆頭格だが、おもちゃ業界のトップメーカー、バンダイの元会長もなかなかの御仁らしい。2代目のボンボンで、障害児におもちゃを貸し出す財団の理事長なのに、財団のカネに手を付けたというのだ。これじゃあ、たまごっちも泣いている!?

◇私財を投じた父、財布にした息子
◇「数字の帳尻だけ合わせておいて」
◇『愛人』に綴った「一つになろう」
◇社長時代掲げた「夢」を奪うのか




 街路樹がイルミネーションで輝き、子どもたちが、サンタさんからのプレゼントを心待ちにする季節が到来した。おもちゃメーカーにとっては一年で最大のかき入れ時だ。
 しかし、そんなおもちゃ業界のリーディングカンパニーであるバンダイ(バンダイナムコグループ)の名に傷をつける事態が水面下で起きている。震源は、かつて同社の社長、会長を務めた創業家の「御曹司」だ。
 旧知の関係者が苦りきった顔でこう語る。
 「バンダイの創業者が私財を投じて設立した、障害児におもちゃを貸し出す事業を支援する財団があります。御曹司はその理事長に納まっているのですが、触ってはいけない財団の基本財産に手を付け、自身の会社の負債の穴埋めに使ってしまったようなのです」
 会社法違反(特別背任)の疑いで逮捕された大王製紙の井川意高(もとたか)前会長を彷彿とさせる新たな「事件」が起こっているというのだ。
 バンダイは1950年に東京都台東区で「萬代屋」として産声を上げた。創業者の山科直治(なおはる)氏は金沢市出身で、地元の商業学校卒業後、繊維メーカーに就職したが、一念発起して上京し、おもちゃの世界に飛び込んだ。当時の本社は30坪ほどの木造家屋で、2階が家族の住居、1階が倉庫兼用の店舗だったという。
 当初はセルロイド製の人形やゴムまりなどを販売していたが、「もぐらたたきゲーム」や、「鉄腕アトム」といったキャラクター商品が次々とヒット。80年代に入ると「ガンプラ」(アニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデル)が大ブームとなって業績を大きく伸ばし、グループ全体で年商約4千億円を誇る大企業になった。
 「直治さんは創業者にありがちなワンマン社長でしたが、人情に厚く、社員から非常に慕われていました。97年に79歳で亡くなりましたが、バンダイを一代で業界トップに成長させた名経営者でした」(財界ジャーナリストの小宮和行氏)
 この立志伝中の人物の跡を継いだのが、長男の山科誠氏(66)だった。
 子どものころからシナリオライターや小説家にあこがれ、慶応大卒業後、小学館に入社した。しかし、希望した書籍編集ではなく営業担当になったこともあり、わずか2年でバンダイへ転職。28歳で取締役、35歳で社長になった。
 「アイデアマンで、『たまごっち』を大ヒットさせるなど功績もありましたが、97年に旧セガ・エンタープライゼスとの合併話を独断で強引に進め、社員の猛反発を受けて頓挫。責任を取って社長を辞めました。趣味人といった風情の人物で、社長向きではないように感じましたね」(小宮氏)
 社長辞任後も会長として経営に携わったが、業績悪化などの責任を取って99年に代表権のない名誉会長に。2004年には取締役からも外れた。それでもバンダイの5・1%の株を所有する大株主だった(バンダイは05年、ゲーム大手のナムコと経営統合し、共同持ち株会社「バンダイナムコホールディングス」を設立)。
 山科氏は社長在任中から「茶屋二郎」というペンネームで念願の作家活動を始め、『遠く永い夢』(日新報道)、『一八六八年 終りの始まり』(講談社)といった歴史小説などを執筆してきた。ただ、作家業は道楽の域を出なかったようだ。山科氏自身が雑誌にこう綴っている・・・

購入する

この記事の続きは、WEB新書でお読みいただけます。

バンダイ御曹司がハマった「愛欲」と「金欲」
216円(税込)

世間知らずのおバカな御曹司といえば、会社のカネをカジノですった大王製紙の前会長が筆頭格だが、おもちゃ業界のトップメーカー、バンダイの元会長もなかなかの御仁らしい。2代目のボンボンで、障害児におもちゃを貸し出す財団の理事長なのに、財団のカネに手を付けたというのだ。これじゃあ、たまごっちも泣いている!?[掲載]週刊朝日(2011年12月9日号、6800字)

    スマートフォン、タブレットでも読めます。

    Facebookでのコメント

    このページのトップに戻る