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朝日新聞出版

機密ファイル「N」最終章 もんじゅ事故「隠蔽」記録と謎の死

初出:2013年4月12日・4月19日号
WEB新書発売:2013年4月19日
週刊朝日

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 旧動燃の驚愕の裏工作や情報操作を逐一記録してきた「N」ファイル。その記録は1996年1月12日でぷつりと途切れていた。その翌日、ファイルの持ち主である旧動燃幹部の西村成生氏が変死体となって発見されたからだ。プルトニウム輸送をめぐる「日米密約」や死の直前まで関わったもんじゅ事故「隠蔽」工作など「N」ファイルの最後の資料の謎に迫る。

◇第1章 プルトニウム輸送船の「日米密約」
◇第2章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録



第1章 プルトニウム輸送船の「日米密約」


 1993年1月5日早朝、フランスから喜望峰経由で3万キロの長旅を終えた輸送船「あかつき丸」が、茨城・東海港に到着した。岸壁で多くの報道陣がかたずをのんで見守り、1100人の警官と70隻の巡視船艇による厳戒態勢が敷かれる中の入港。付近の浜辺で500人以上の反対派がキャンプを張り、シュプレヒコールをあげる。海上では5隻のゴムボートが、威嚇するかのように「あかつき丸」へ突進を繰り返した――。
 一隻の船がここまで注目を集めたのには、理由がある。「あかつき丸」の積み荷は、原爆100個分の材料にもなり得る「1トンのプルトニウム」だったのだ。
   ◇
 旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)が行ってきた「工作」の歴史が記録された「西村ファイル」。これまで詳細が「国家機密」として秘匿されてきたプルトニウム輸送船をめぐる資料を暴く。
 「あかつき丸についての情報は、プルトニウムの扱いなどと並び、社内でも最もランクが高い極秘扱いだった」(元動燃幹部)
 動燃の「あかつき丸」が運んだプルトニウムは、日本の原発などで発生した使用済み核燃料から取り出したものだ。当時は再処理をフランスに委託していた。そして、運ばれたプルトニウムは、高速増殖原型炉「もんじゅ」の燃料として使用する計画だった。
 ところが、この輸送が波紋を呼ぶ。事故が起きれば大惨事となる核燃料輸送に、南太平洋や中南米の国々が一斉に反発し、領海通過を拒否。プルトニウムは原爆の材料にもなるため、世界の国々から日本の核武装を疑う声もあがった。
 より「疑念」を深めたのが、輸送の主体となった動燃と科学技術庁(現在は文科省に統合)の徹底した秘密主義的な対応だ。「核防護」を名目に、航路や航海の日程、到着港など一切の情報を秘匿。「あかつき丸」という船名すら公表しなかったのである。
 当時、動燃総務部文書課長だった西村成生(しげお)さんの妻・トシ子さんが振り返る。
 「夫は、あかつき丸については『大きな重要な仕事がある』としか言わず、特に口が固かった。後になって『あれは国家機密だから家族にも何も言えないんだ』と話していました」
 東海港で反対運動を行った原子力資料情報室の西尾漠共同代表が語る。
 「我々は核ジャックを防ぐためにも情報はフルオープンにして衆人環視の下で輸送すべきだと訴えたが、まったく聞き入れられなかった。彼らが一番恐れていたのは、反対運動の盛り上がりだったのではないか」
 実際、科技庁と動燃との打ち合わせメモには、幹部のこんな発言が残っていた。
 〈情報管理については、あくまで核防護の名を借りて実施しているもの〉(科技庁・原子力局長)
 〈まずは、国会対応よりマスコミ対応優先〉(動燃理事長)
 「公開」が原則の原子力利用に反する、露骨な「情報統制」をしていたのだ。

◎地元住民を「A」「B」にランク分けし、情報操作
 動燃側の「情報統制」は、地元政治家や行政機関に対しても徹底していた。
 「厳秘」と記された92年11月17日付の資料では、事前に情報を伝えるべき相手を「A」「B」の二つにランク分けしていた。説明書きには、こうある。
 〈A…理解とご協力を得るため、積極的に説明する対象〉
 〈B…報道その他の情勢により判断し、適宜安全性等を中心とした説明をする対象〉
 「B」の相手には、報道などで真実がバレてしまったときに仕方なく説明する――ということなのか。
 実際のランクを見ると、政治家では、地元茨城県選出の自民党衆院議員だった梶山静六元官房長官と塚原俊平元通産相(ともに故人)が「A」なのに対し、当時、社会党衆院議員だった大畠章宏氏(現・民主党衆院議員)は「B」。露骨な『与野党格差』だ。
 茨城県議は6人がリストに挙がっていたが、県連会長とS県議の2人だけが「A」で、残りは自民系なのに「B」。これについては、県庁幹部とのこんな打ち合わせ記録が残っていた・・・

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