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文化・芸能
朝日新聞出版

「ポプコン」の時代 八神純子、渡辺真知子、NSP、因幡晃が熱く語る!

初出:2013年7月26日号
WEB新書発売:2013年7月26日
週刊朝日

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 「私はグランプリを獲るつもりで行った」と八神が言えば、「私は理想より上に行っちゃった」と渡辺。1969年から86年まで続いたヤマハポピュラーコンテスト、通称「ポプコン」は「音楽の甲子園」とも呼ばれ、中島みゆき、チャゲ&飛鳥ら地方から応募した若者を超人気アーティストへと育てた。3・11後に被災地で当時のヒット曲を歌う八神、因幡、渡辺、NSPが、自らの「青春そのもの」、夢を追うことができた日本の「ポプコン」の時代を、知られざるエピソードとともに熱く朗らかに語り合う。

◇音楽の祭典「ポプコン」を語り尽くす/八神純子・渡辺真知子・NSP・因幡晃が大集結
◇「『時代』は行く!」中島みゆき確信
◇ポプコンの音楽、被災地でも鳴る
◇川上源一理事長、才能が大好き


音楽の祭典「ポプコン」を語り尽くす/八神純子・渡辺真知子・NSP・因幡晃が大集結

 
 ――ポプコン出身のみなさんで、こんな風に集うことはありますか?

 因幡 個人的にそれぞれ会っても、この4組でというのは初めてだね。


 八神 真知子ちゃんと私は同じ回に出場して、大会冊子の写真が入れ替わっていたの。覚えてる?


 渡辺 似たような木綿のドレスを着て、ストローハットをかぶってたからね。


 ――当時の女の子の典型的なスタイルですね。

 八神 いえ、賞を獲ろうというスタイルよ。

 一同 (笑い)

 八神 私はグランプリを獲るつもりで行ってたから。でも、獲ってないんだけど。

 因幡 獲ってないんだ?

 八神 獲ってないのよ。優秀曲賞だったから。

 因幡 俺の「わかって下さい」も優秀曲賞だった。

 平賀 僕らは入賞、ニッポン放送賞。



 渡辺 私は優秀賞じゃなくて、川上賞だったの。

 ――みなさん、どなたもグランプリを受賞してないのは意外な気がします。

 八神 私たちにとって、ポプコンの審査委員長だった川上源一理事長は、かなりの影響力があったのね。理事長はみんなを旅行に連れていったりもしたんです。

 因幡 行ってないなぁ。男はダメだったのかなぁ。

 八神 サングラスが嫌いだったんじゃない? ヤマハの社員は前髪で顔を隠すのが禁止だったくらいだから。

 因幡 これは後にディレクターになる人にかけさせられたんだよ。ポプコンの全国大会のリハーサルで、どこを見て歌うか戸惑っていたら、「じゃ、サングラスをして、ミステリアスなイメージにしようか?」と言われて。それから40年、かけ続けています。

 八神 いろんな地方から出てくる私たちにとって、ポプコンの関係者から言われる言葉は絶対的な影響力があったわよね。

 ――当時ポプコンは「応募しよう」と思える身近なものだったんですか?

 平賀 僕らの頃はぜんぜん身近じゃないです。

 八神 プロへの登竜門という感じはありました?

 中村 それは後から知りました。

 八神 真知子ちゃんは、そういう気持ちがあった?

 渡辺 ポプコンでプロになれるとは思ってなかったけど、そっちの方向を目指してたかな。

 ――みなさんの世代はまだ、プロへの登竜門という感じではなかったんですね。

 因幡 俺らの頃はまだ、いいアーティストを発掘するという感じだったね。

 渡辺 どうやって応募しました? 楽器店?

 平賀 そうそう、楽器店。地元に「さとう屋楽器店」という店があって、今もあるんですが、そこへ僕らのライヴを録音したカセットテープを、友達が持っていったんですよ。

 八神 私は名古屋の楽器店で応募用の歌を録音したの。

 平賀 それは「うまい子がいる」って、最初からチェックされてたんじゃない?

 八神 私はヤマハのボーカル・タレント・コースというのに入って、最初はポプコンに応募してきた曲を歌ったの。

 中村 そういうのあったね。

 渡辺 「譜面の部」ね。

 八神 それで私は歌手として仕事して、高校1年生で1日5万円ももらったり・・・

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