【お知らせ】WEB新書は閉店しました。

社会・メディア
朝日新聞出版

雅子さま50歳の節目 ご詠歌で振り返る皇室生活の20年

初出:2013年12月13日号
WEB新書発売:2013年12月13日
週刊朝日

このエントリーをはてなブックマークに追加

 29歳で皇室に嫁がれて20年、12月9日に50歳を迎えられた雅子さま。ご結婚後、1994年の歌会始で詠まれた「君と見る波しづかなる琵琶の湖さやけき月は水面おし照る」から、2005年の「紅葉ふかき園生の道を親子三人なごみ歩めば心癒えゆく」、13年の「十一年前吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり」まで、皇太子さまや愛子さまへの思い、喜びや葛藤がにじむお歌20首を紹介しながら、「未来の皇后」の皇室生活20年を俵万智さんらと振り返る。

◇感謝の思いを歌に託されている
◇与謝野晶子を連想させる歌も
◇「歌会始」欠席と「人格否定発言」
◇愛子さまへのあふれる思い
◇皇室生活をたどる お歌20
◇[コラム]歌人としての素質に驚く


感謝の思いを歌に託されている

 皇室と歌とは、車の両輪のように歩みをともにしてきた。天皇や上皇の指示で古今和歌集などが編集され、今日でも、皇室では毎月、歌を詠む「月次歌会(つきなみのうたかい)」が開催されている。
 このうち、毎年1月に行われるのが「歌会始(うたかいはじめ)の儀」だ。「歌御会始(うたごかいはじめ)」とも呼ばれ、記録上最も古くは鎌倉時代中期、亀山天皇の文永4(1267)年1月15日に開かれている。
 1874(明治7)年以降は、天皇、皇后両陛下や皇族方に加えて、一般国民も参加できるようになった。現在は、共通のお題に対して、国内だけでなく海外からも応募を受け付けている。
 「歌会始の儀」は厳格な雰囲気のなかで進められる。天皇、皇后両陛下や皇族方に加え、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)や選者、一般の入選者の歌が、古式の独特の節回しで読み上げられる。
 雅子さまが初めて参加されたのはご結婚後、最初のお正月となった1994年。詠まれたのは、ご結婚直後の93年8月、全国農業青年交換大会のために訪問された滋賀県での様子だ。
 宿泊されていた彦根プリンスホテル(現・彦根ビューホテル)8階のスイートルームからは、眼下に広がる琵琶湖が一望できた。

 〈君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る〉

 皇太子さまと並んで窓の外を見ると、静かな湖面を明るく澄み切った月が照らしていました――
 始まったばかりの皇太子さまとご一緒に暮らす日々。戸惑いもあったと思われるが、足を踏み入れた世界への大きな期待と喜びを、ゆっくりかみしめておられたことが伝わってくる。
 「素直でまっすぐな表現をされていて、ゆるやかな調べが続いている」
 そう評価するのは、京都大学短歌会出身で、現在は「読売新聞歌壇」の選者を務める歌人の栗木京子さん(59)だ。最後の「水面おし照る」という表現は「万葉集の中にある格調高い言葉です」。
 海外生活が長く、ご結婚まで本格的に歌に触れられる機会がほとんどなかった雅子さまだが、「持って生まれた感性の豊かさ、聡明(そうめい)さを感じさせます」。
 このとき、皇太子さまが詠まれたのも同じ琵琶湖の情景だ。
 「我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖(うみ)に」
 96年にも、皇太子さまと雅子さまは、子どもたちと苗木を植えられた様子を一緒に詠まれている。

 〈もろ手もちてひたすら花の苗植うる知恵おそき子らまなこかがやく〉(雅子さま)

 「子供らと苗木植ゑつつ我祈る健やかに育て子らも苗木も」(皇太子さま)
 栗木さんは「おふたりの共有される世界が増えていくことが感じられます」。お二人の確かな歩みが、歌によく表れているという。
 雅子さまは97年には阪神大震災から立ち直る人々の様子を、98年にはルワンダ情勢を詠まれている。歌人の石井辰彦さん(61)は「外交官として、広い世界を細やかにご覧になっていた知性と教養が発揮されている。表現もすっきりしていて読みやすい」。雅子さまが充実した日々を過ごされていたことがうかがえるという。
 そんな中、日に日にお子様への期待が高まっていく。
 ご結婚から6年後の99年11月末、雅子さまにご懐妊の兆候がみられる。だが、2度の検査の結果、妊娠7週で稽留(けいりゅう)流産と診断される。雅子さまは入院し、手術が行われた。
 当時、ご懐妊の兆候をいち早く報じた朝日新聞社には、報道姿勢を問う読者からの抗議や意見が殺到した。「精神的負担を与えた」として、正式な発表まで報道を慎むべきだったという意見が大半を占めた。
 その一方、雅子さまが兆候がみられてからも、皇太子さまとベルギー皇太子の結婚式出席のため同国を訪問されていたことへの批判も高まった。
 そんなつらい日々の雅子さまを支えたのは、皇太子さまだ。その思いに応えるように、翌2000年、雅子さまは、皇太子さまへの感謝の思いを歌に託されている。

 〈七年(ななとせ)をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ〉

与謝野晶子を連想させる歌も

 同年7月、香淳皇后の葬儀を欠席されて以降、体調不良を理由に公務をお休みがちになる。だが、皇太子さまへの思いは変わらず、01年の歌には少女のようなピュアな恋心がにじむ。

 〈君とゆく那須の花野にあたらしき秋草の名を知りてうれしき〉

 滞在先の那須を、あなたと一緒に歩いていたら、新しい秋草の名前を知ることができました――
 栗木さんは与謝野晶子の名歌「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」を連想したといい、「ご結婚後、時間が経ってもロマンチックで初々しい世界観を保たれていたのではないでしょうか」。
 ご懐妊が正式発表されたのは、この年の5月。そして同12月、愛子さまを出産される。雅子さま37歳、ご結婚から8年あまりでの慶事だった。
 翌02年は、もちろん愛子さま誕生の歌だ・・・

このページのトップに戻る